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日本オセアニア学会賞

日本オセアニア学会賞規定

第1条(目的)
日本オセアニア学会はオセアニア地域における人間、文化、社会、環境などの研究の振興を目的とし、「日本オセアニア学会賞」を制定する。
第2条(資格)
日本オセアニア学会員であること。
第3条(対象)
オセアニア地域研究に関し、前年度及び前々年度において最も優秀な著書又は論文を公にした個人。但し、刊行時において原則として満40歳未満の者とする。
2 賞の授与は各年度1名とする。
第4条(選出方法)
賞の選考は理事会が委嘱した5名の日本オセアニア学会賞選考委員が行う。
2 以上の選考結果に基づき理事会が受賞者を決定する。
第5条(賞の授与)
賞の授与は日本オセアニア学会総会で行う。
第6条(賞状・報奨金)
受賞者には賞状ならびに日本オセアニア交流協会(学校法人園田学園)基金より副賞を贈呈する。
附則
この規定は平成13年4月1日より施行する。

歴代受賞者・受賞作

第1回(2001年度)
白川千尋氏『カストム・メレシン-オセアニア民間医療の人類学的研究』 風響社,2001年
第2回(2002年度)
受賞者無し
第3回(2003年度)
風間計博氏『窮乏の民族誌-中部太平洋・キリバス南部環礁の社会生活』(大学教育出版,2003年)
田口理恵氏『ものづくりの人類学-インドネシア・スンバ島の布織る村の生活誌』(風響社,2002年)
第4回(2004年度)
菊澤律子氏“Did Proto-Oceanians Cultivate Cyrtosperma Taro?”(People and Culture in Oceania, vol. 19, 2003)
第5回(2005年度)
桑原牧子氏“Tattoo: an anthropology”, Oxford: Berg, 2005, pp.268.
(理由)本書の対象は、タヒチを中心とした太平洋地域における伝統的な入れ墨(tattoo)である。本書は、植民地政府およびキリスト教宣教師による入れ墨の禁止という歴史的変遷の検討に加え、今日の復活・流行現象について、社会・文化的意味を詳細に考察したものである。また本書は、歴史資料を吟味したうえで、長期現地調査によって収集した一次資料を詳細に分析した総合的研究である。入れ墨に焦点を当てながらも、太平洋地域における西欧諸国との接触による伝統文化の変容,および現代の伝統文化復興運動を射程に収めて考察した斬新できわめて学術的価値の高い研究と評価できる。
当委員会は、本刊行物を第5回日本オセアニア学会賞に十分値することを全員一致で確認した。
なお、対象となる刊行物および著者について「日本オセアニア学会賞規定」第2条,第3条1項を満たしていることを確認した。
第6回(2006年度)
諏訪淳一郎氏『ローカル歌謡の人類学:パプアニューギニア都市周辺村落における現代音楽の聴取と民衆意識』弘前大学出版会(2005年刊)
(理由)諏訪氏の著書『ローカル歌謡の人類学:パプアニューギニア都市周辺村落における現代音楽の聴取と民衆意識』ではロコル歌謡の歴史,演奏者の社会関係,演奏作曲の習得,他ジャンルの音楽との関係,野外コンサートと聴衆,歌詞の言語とモチーフが,マダン市周辺村落の社会文化的コンテクスにそって丹念に分析されており,パプアニューギニアの大衆音楽の優れた民族誌となっている。また、諏訪氏の著作は,パプアニューギニアの儀礼における音楽の役割に関する先行研究を発展させ,音楽の聴取がもたらす経験やアイデンティティ形成に踏み込んだ優れた研究であると評価できる。またオセアニアの大衆音楽の研究としても先駆的研究として評価しうる。
第7回(2007年度)
伊藤泰信氏『先住民の知識人類学:ニュージーランド=マオリの知と社会に関するエスノグラフィ 』(単著、単行本)、世界思想社、2007年2月発刊
(理由)対象著作となった『先住民の知識人類学:ニュージーランド=マオリの知と社会に関するエスノグラフィ』(単著、単行本、世界思想社)は、ニュージーランドでの長期フィールドワークに基づく意欲的な出版物であり、同地の先住ポリネシア人であるマオリの人たち自身の手による「マオリ学」の構築・受容の過程を、先住民族運動の動向とニュージーランドの歴史・政治・社会に照らして精緻に分析した第一級の民族誌であると評価できる。マオリの知識構築過程に関する実証分析を独自の視点から新規性を十分に発揮して成し遂げた卓抜なる研究成果と言えよう。オセアニアの地域研究にとどまらず、文化人類学、社会人類学、民族誌学、知識人類学、知識社会学などの方面、あるいは広く人類学全般に多大なる貢献を果たすものと考えられる。
第8回(2008年度)
山内太郎氏第8回学会賞“Modernization, nutritional adaptability and health in Papua New Guinean Highlanders and Solomon Islanders”(単著、第6章、pp.101-126), In; "Health Change in the Asia-Pacific Region", Ryutaro Ohtsuka (University of Tokyo) and Stanley J. Ulijaszek (University of Oxford), eds., Series: Cambridge Studies in Biological and Evolutionary Anthropology, Cambridge University Press, 2007.
(理由)ニューギニア高地とソロモン諸島における近代化と、人々の栄養および健康状態との関係について、山内氏が長年にわたりたずさわってきた生態人類学的研究の集大成である。ページ数はさほど多くないが、近代化とともに村落社会の人々の身体が変貌したプロセスを多角的に解明するオリジナリティの高い学術的に優れた研究成果と言えよう。近年、人々の身体活動と栄養摂取の変化による肥満と、それが引き起こす様々な健康上の問題は、オセアニアの各地で非常に大きな問題となってきており、この研究はその対策を講ずる上で重要な方策を提供するものとなろう。研究のスケール、統合的なパースペクティブ、提示された研究成果の重要性において、第一級の研究論文である。
第9回(2009年度)
丹羽典生氏『脱伝統としての開発―フィジー・ラミ運動の歴史人類学』(明石書店、2009年)
(理由)丹羽典生著『脱伝統としての開発―フィジー・ラミ運動の歴史人類学』は、フィジー諸島共和国におけるラミという社会集団に焦点をあて、フィジー人社会にとって重要な課題である伝統的価値観と近代化の調和と相克に、ラミの人々がどのように挑戦したかを、歴史人類学の視点を用いつつ、様々な角度から検討した民族誌である。2001年、2002年、2004年に実施した総計27ヶ月に及ぶフィジー地域社会(ヴィティレヴ島のバ地方とナンロガ・ナ ヴォサ地方の5村落を中心とする13村落)での社会人類学的な現地調査の成果と同時期にフィジー国立古文書館・南太平洋大学等で併行して実施した綿密な史料調査(英語史料、フィジー語史料)から得られた成果を接合しようとする手堅い手法に裏打ちされた作品であると評せよう。また、同書は、これまで実証的な研究蓄積に極めて乏しく、憶測に基づいて「珍奇」な運動としての表面的な評価しか下されてこなかったフィジーのラミ運動に関する国内外初の本格的な総合研究の試みとして高く評価されるものと理解している。共同組合運動という一側面からではあるが、20世紀中葉以降のフィジーの近現代史を俯瞰するためには好著であるだろう。また、オセアニア文化研究のなかから展開してきた歴史人類学の流れや、その主要トピックである客体化や創出(インベンション)についての レビューとしても高いクオリティを備えている。
第10回(2010年度)
松本和子氏“The role of social networks in the post-colonial multilingual island of Palau: Mechanisms of language maintenance and shift.” Multilingua 29: 133-165.
(理由)本論文は、西太平洋パラオ共和国における多言語状況を観察・分析し、言語の維持とシフトのメカニズムを明らかにしようとする斬新な試みである。従来、言語の維持・シフト・消滅のプロセスの研究は移民の多い都市や、威信言語と接触状態にある少数言語集団などを中心に行われ、世代別ないし世代間の言語の使用状況、個人や社会の言語に対してもつ言語意識、言語政策に視点を置く研究や、個人の社会的位置を示す社会経済的な階層/階級といった要素から分析する研究が主流であった。一方のパラオ社会は、スペイン、ドイツ、日本、アメリカと宗主国が入れ替わる植民地状況の中で、現在パラオ語、英語、日本語が併用される多言語状況の中にある。1997年以来、断続的にパラオをフィールドとして調査を行っている著者は、ここで話者の社会的ネットワークに注目する。時系列的に考えれば、古い植民地勢力の日本語はより早く廃れ、英語にとって代わられるはずである。しかし、それぞれの植民地の存在様式や人々との交流のあり方が異なる故に、単純にそのような結果が導かれるわけではない。
著者は、パラオ社会が現地住民や移民のコミュニティ、都市部やそれ以外のコミュニティで言語間の接触状況の異なること、民族学的要因が要になっていることを挙げ、言語の維持・シフトのプロセスを推進する社会的メカニズムを理解するためにはこの社会的ネットワークを理解する必要があるとした。調査ではパラオ人家族と在パラオ日本人家族(戦後日本に引き揚げてからパラオに再度移住した日本国籍者家族)と、日系パラオ人家族(パラオ国籍)の3グループに分け、社会的ネットワークをもとに言語行動を調査した。パラオに特有の文化的カテゴリーとして著者はsiukangとmusingを挙げており、これらを通して人々がつながりをもって交換活動をしていることが理解できる。これらは現地調査によるデータに基づいて、定性的かつ定量的に詳細に検討される。
本論文は理論的・方法論的な斬新さだけではなく、パラオの言語接触の歴史研究としても非常に興味深い見解を提示している。あるいは視点を変えれば、日常的に利用する言語資源の選択戦略を通じて、パラオの人々はいかに、いま歴史を生きているのかということが本論文には詳細に示されているともいえよう。
本論文は、パラオのみならずオセアニアのポストコロニアル状況下における、社会、行為主体としての個人、言語の関係を分析対象とする論考として、また、多言語社会の言語動態を分析対象とする論考として、抜きんでた存在である。同時に、オセアニア研究から広く地域の枠を越えて、社会言語学、文化人類学、言語社会学、コロニアル・スタディーズ等々の関連分野においても影響を及ぼすべき、高い理論的発信性を有している。
着実性、独創性、新規性、発信性を兼ね備えた仕事であると評したい。
第11回(2011年度)
石森大知氏 『生ける神の創造力―ソロモン諸島クリスチャン・フェローシップ教会の民族誌』(世界思想社 2011年2月刊行)
(理由)石森大知著『生ける神の創造力―ソロモン諸島クリスチャン・フェローシップ教会の民族誌』は、ソロモン諸島・ニュージョージア島で展開されている社会宗教運動としてのクリスチャン・フェローシップ教会を対象とした文化人類学的研究である。この教会は、創始者が聖霊憑依によって神の啓示を受け、「生ける神」として神格化されたことをきっかけに、もともと属していたメソジスト教会から分離・独立したもので、西洋世界からの一切の干渉を排除した自律的な生活を実現することを目指した運動を展開している。本書は、クリスチャン・フェローシップ教会の歴史的形成過程、組織の在り方、信徒たちによって営まれる共同生活の現実とその背景にある世界観などを、歴史資料や長期のフィールドワークによって得た資料をもとに詳細に記述・分析したものであり、これまでその内実があまり知られていなかったこの社会宗教運動の実態を明らかにした民族誌として、高く評価できるものとなっている。また、従来の人類学的研究では、オセアニアで生起する様々な社会宗教運動は、カーゴカルトかプロ・ナショナリズムかどちらかの概念と関連付けて論じられてきたが、本書では、どちらの概念でも捉えることのできないクリスチャン・フェローシップ教会を、新たにモダニティ概念と関連付け、その運動を、宗教的技術改革をとおして権利や自治の獲得を目指す近代的な新しい改革運動と位置づけている。従来の人類学的研究の批判的検討には説得力があり、新たな視点から社会宗教運動を論じる方向性を示した点に、文化人類学的理論への貢献を認めることができる。
第12回(2012年度)
馬場 淳氏第12回学会賞『結婚と扶養の民族誌―現代パプアニューギニアの伝統とジェンダー』(彩流社 2012年2月刊行)
(理由)馬場淳著『結婚と扶養の民族誌―現代パプアニューギニアの伝統とジェンダー』は,パプアニューギニア,マヌス島をフィールドとし,そこで村落に暮らす「普通の人々」の結婚と扶養をめぐる諸現象に焦点を当て,彼らがカストムと向かいあう多様な様相を記述したものである。本書では,結婚や扶養の実態が綿密に描き出されているが,本書の特徴は,それを従来型の親族組織中心の議論で整理するのではなく,離婚やシングルマザーの登場という今日的な状況のなかで扶養という慣行がどのように機能しているかを分析し,そうした現実が,人々の考えている「カストム=伝統」とどのように関連しているのかを考察しているところにある。そしてそれらの事例を通して,カストムは具体的な生活を支え,家族の相互扶助を可能にする「振る舞い」を規定するものであり,現在においても社会生活を成立させる基本であることを実証することに成功している。また本書は,カストムを,男性と女性が衝突し交渉する力動的過程(=ジェンダーの政治学)の渦中にあるものとして捉えようとしている点でも斬新な視点を提供し,結婚については,婚姻慣行,婚資のやりとりだけではなく,経済活動,避妊の実践,紛争処理など,そして扶養については,離別,子供の処遇だけではなく,扶養費訴訟なども視野にいれた具体的で詳細なフィールドデータを提示し,カストムの現在に迫った力作であると言える。
第13回(2013年度)
第13回学会賞 深山 直子氏『現代マオリと「先住民の運動」―土地・海・ 都市そして環境』 (風響社 2012年5月刊行)
(理由)深山直子著『現代マオリと「先住民の運動」―土地・海・都市そして環境』は、ニュージーランド・オークランド市および近郊の先住民マオリ・コミュニティでの長期にわたる現地調査ならびにオークランド大学マオリ研究学部を拠点に実施した史料調査の成果に基づき、ニュージーランド・マオリの「先住民の運動」の特質を歴史的かつ多元的に描き出そうとする野心的な試みである。従来のマオリ研究では、先住民族によって組織化された大規模な政治=社会=文化運動に偏って議論の蓄積がなされてきたが、現代のニュージーランドには、こうした組織的な「先住民族運動」に与することができず、あるいは与することを積極的に拒否しながら、個人ベースでさまざまな主張を発信するマオリの存在が顕在化してきている。このような多様化する「先住民の運動」は現在土地のみならず、海(慣習的漁撈権、前浜および海底の慣習的所有権)や都市(都市マオリの先住権、マラエの創設、環境保護意識)を巡っても展開されているが、それを歴史的文脈の中で分析・解釈しようとする本書の手法はきわめて手堅いものであり、その独創性は高く評価される。マオリ固有の民俗概念を分析概念として用いるという終章に関しては、その適否を巡って議論の余地があろうが、本書の民族誌的価値は極めて高く、先住民研究全般に対し多大なる貢献を果たすものと言えよう。
第14回(2014年度)
渡辺 文 氏『オセアニア芸術―レッド・ウェーヴの個と集合』(京都大学学術出版会 2014年)
第14回学会賞(理由)渡辺文著『オセアニア芸術―レッド・ウェーヴの個と集合』は、エペリ・ハウオファがフィジーの南太平洋大学に創設したオセアニア芸術文化センターを拠点に「オセアニア芸術」の創生に挑む「レッド・ウェーヴ」アーティストたちの実践を、その創生の現場に立ち会いながら、アーティスト各個人とその作品制作の過程を追うことを通して詳細に描き出した、極めて秀逸な民族誌作品である。非西洋芸術として発見されたオセアニアの「未開芸術/民族芸術」は、西洋芸術では自明視される制作者の「個性」が剥奪され、そのすべてが「民族」という「集団性」に回収されてきた。オセアニアの現代芸術では、この「個」を獲得すべく様々な試みがなされているが、「個」を追究すればする程、「オセアニア」という「集団性」は後退せざるを得ない。本書は、レッド・ウェーヴ・アーティストたちがこの「個」と「集団性」との間を揺れ動きながら、「オセアニアらしさ」と「個」を両立させるような、新たなレッド・ウェーヴの「集合性」を獲得しつつあることを、詳細なスタイル分析を通して説得的に描き出している。また、現代の芸術人類学が「権力論」と権力論を捨象した「エイジェンシー論」に分裂する中で、本書はその両者を架橋しようとする試みでもあり、芸術人類学の新たな地平を切り開こうとする著者の研究姿勢は高く評価できる。こうしたレッド・ウェーヴ・アーティストたちの試みが現代のオセアニア島嶼社会においてどのような意味を持ち得るのか、さらなる研究の進展が望まれる所ではあるが、本書の民族誌的研究としての価値は極めて高く、現代の民族芸術研究に対して多大なる貢献を果たすものと言えよう。
■第14回(2014年度)日本オセアニア学会賞選考委員会
 栗田博之(委員長) 稲岡司 片岡修 須田一弘 関根久雄
第15回(2015年度)
長島怜央氏『アメリカとグアム:植民地主義、レイシズム、先住民』(有信堂高文社 2015年)
第15回学会賞(理由)長島怜央著 『アメリカとグアム:植民地主義、レイシズム、先住民』は、アメリカ合衆国が植民地的な支配あるいは管理をおこなってきた海外領土のなかから、特に、軍事拠点あるいは観光地として日本ともかかわりの深いグアムを対象に選び、その戦前から現代にいたるまでの統治のありかたを、広範な史資料の渉猟とその綿密な検討、およびインタビュー調査によって明らかにした意欲作である。なかでも、先住民チャモロのアイデンティティの変遷や土地権、そして自己決定権をめぐる運動などを、アメリカ合衆国の強要する制度とのかかわりのなかで考察した点は、多くのオセアニア諸国が経験してきた植民地支配とそこに生きる人々の対応にかかわるケーススタディーとして高く評価できる。
本書はオセアニアの現代的政治問題としての先住民研究に多大なる貢献を果たし、広くオセアニアの地域研究にも貢献するものと期待される。また、グアムにおけるチャモロの社会・政治的運動に関する日本人による研究の蓄積が未だ少ない中で、本研究は先駆的研究として、今後の研究において参照される里程標となろう。
■第15回(2015年度)日本オセアニア学会賞選考委員会
第16回(2016年度)
古澤拓郎氏『Living with Biodiversity in an Island Ecosystem: Cultural Adaptation in the Solomon Islands』Springer( 2016年)
第16回学会賞(理由)古澤拓郎氏の著作は、ソロモン諸島の一地域に関して、インテンシヴなフィールドワークを通じて現地の人々が多様な自然環境をいかに利用しているか、周囲の自然環境に関してどのような知識を持っているのか、そしてどのような実践を行っているのかを、人類生態学の立場から、豊富なデータを使用して緻密に描き出すのに成功している。特に、研究対象としているニュージョージア島の人々を一枚岩的に捉えることなく、人々の間にみられる多様性(農村と都市の違い、世代やジェンダーの差異など)に着目することを通じて、環境の多様性との関わり合いを、実証的かつ説得力をもって解明している点が高く評価された。
本書は人類生態学の分野のみならず、民族誌としても非常に質が高いことに加えて、環境人類学、環境社会学、民族植物学など多様な分野から参照され得る幅の広い学術的価値も併せてもっていることも高く評価された。
また国際的にも評価の高い海外の出版社から国際的に発信されたことによって、日本におけるオセアニア研究の質の高さを示すことにもつながっており、第16回日本オセアニア学会賞を受賞するのにふさわしいと判断された。
■第16回(2016年度)日本オセアニア学会賞選考委員会
 印東道子(委員長) 梅崎昌裕、白川千尋、豊田由貴夫、山内太郎

石川榮吉賞

石川榮吉賞規定

第1条(目的)
日本オセアニア学会は、学会のさらなる発展を目的とし、また創設者である故石川榮吉元学会長の功績を記念して「石川榮吉賞」を制定する。
第2条(資格)
日本オセアニア学会会員であること。
第3条(対象)
オセアニア地域研究の振興に多大なる寄与を行い、かつ長年にわたり学会の発展に貢献してきた個人。
第4条(選考方法)
選考委員会は理事会が兼ねて候補者を推薦し、評議員会で決定する。
第5条(賞の授与)
賞の授与は日本オセアニア学会総会で行う。
第6条(賞状・記念品)
受賞者には賞状を贈呈する。尚、石川榮吉賞基金から一部充当する。
附則
この規定は平成18年4月1日より施行する。

これまでの受賞者

第1回(2007年3月)
大塚柳太郎氏
第1回石川榮吉賞(推薦理由)大塚柳太郎氏の研究活動としては、1967年以来、パプアニューギニア(当初はオーストラリア領)において、また、1990年代からはインドネシア、ソロモン諸島国、トンガ王国などで、多くの人間集団を対象とする人類生態学の調査研究を主導して刮目すべき成果を挙げてきた。
大塚氏の学会活動としては、日本オセアニア学会設立の一翼を担い、1987年には日本オセアニア学会、Indo-Pacific Prehistory Association及び国立民族学博物館が共催した国際会議‘Isolation and Development in the Pacific’の事務局長を務め、さらには日本オセアニア学会の機関誌である‘Man and Culture in Oceania (現People and Culture in Oceania)’の発刊準備に尽力したのちに第1巻(1985年)から第10巻(1994年)まで同誌の編集委員長の任に当たるとともに、1993年から1999年まで日本オセアニア学会の会長の役職を果たした。
以上のように、オセアニア地域研究の振興に多大なる寄与を果たしてきたこと、くわえて、長年にわたり日本オセアニア学会の発展に貢献してきたことが、大塚 氏を石川榮吉賞に推薦する理由である。
(受賞の言葉)私が心より敬愛する故石川榮吉先生のお名前を冠した賞を受賞する栄誉を授かり、石川先生にはもちろん会員の皆様に深く感謝いたします。
私が石川先生と最初に親しくお話しする機会を得たのは、1984年秋と記憶しています。二人で盃を交わしながら、すっかり先生のペースに引き込まれていったようです。日本のオセアニア研究を発展させるには、自然科学と人文社会科学の研究者が集まる組織をつくる、日本人研究者の活動を国際的に発信する英文学術誌を発行する、ということが主題でした。石川先生の巧みな話術と雰囲気に酔わされ、英文誌の刊行は私が責任をもつという羽目になってしまいました。 People and Culture in Oceaniaの前身Man and Culture in Oceaniaの第1号は1985年に刊行されたのです。
私自身は理学部生物学科人類学課程を卒業しましたが、大半の時間を医学部人類生態学教室で過ごしました。主たる調査対象はパプアニューギニアの諸集団で、最初に訪れたのは西部州に住むギデラという2000人ほどからなる言語族です。それは今から40年前、私が大学院の修士課程にはいった1967年のことでした。その後、ギデラの社会には10回以上滞在し、行動・栄養・人口・健康などにかんする研究を行いました。最初は単独で調査をしたのですが、徐々にギデラの人びと全体(生態学で個体群といいます)の適応に関心をもち、1980年代からは多くの仲間との共同研究に移行しました。その後、私自身のさらなる関心の広がり、一方で学生をはじめとする若いメンバーからの刺激を受け、パプアニューギニアの多くの集団、さらにはソロモン諸島、東インドネシアのスンバ島、トンガ王国などでも調査を行う機会を得たのは幸運でした。
思い起こしますと、共同研究者はもちろんですが、石川先生をはじめとするオセアニア学会会員諸兄姉との付き合いのなかで、楽しく充実した研究者生活を送れたと改めて感謝する次第です。学会のますますの発展を心より祈念しています。
第2回(2010年3月)
須藤健一氏
(推薦理由)須藤健一氏は、1974年以来、ミクロネシア連邦のチューク州・ヤップ州を中心としたミクロネシア地域において、また、1988年からはトンガ王国を中心としたポリネシア地域において調査に従事し、オセアニアにおける文化人類学的フィールドワークを主導してきた。また、様々な著書、編著書、論文を通して、日本におけるオセアニア学の確立に大きく貢献してきた。
学会活動で言えば、須藤氏は、日本オセアニア学会創立当初から評議員、理事などの活動を通して学会を支え、1999年から2003年にかけて2期4年間会長を勤めた。会長就任直前の1999年には創立20周年記念国際シンポジウム「南太平洋のフロンティア」の実行委員としてシンポジウムの成功に貢献し、会長退任直前の2003年には、創立25周年記念国際シンポジウム「太平洋の21世紀-新たな文化とアイデンティティの創成」を主催し、日本オセアニア学会 のプレゼンスを国内外に示した。
以上のように、オセアニア研究の振興に多大なる寄与を果たしてきたこと、くわえて、長年にわたり日本オセアニア学会の発展に貢献してきたことから、須藤氏 を石川榮吉賞受賞者として推薦することを決定した。
(受賞の言葉)オセアニア研究に船出する機会をつくってくださった私の恩師、石川榮吉先生の偉業を記念した本賞の受賞にあたり、オセアニア学会のみなさまに心から感謝もうしあげます。
石川先生に初めてお会いしたのは、私が東京都立大学(現首都大学東京)の修士生で、先生(立教大学教授)が私の出身大学・埼玉大学に非常勤講師に来ていた1970年です。石川先生のメラネシアの村落共同体の講義を聞き、もっとフィールドワークの話をしてほしいと思ったのを記憶しています。
1972年春に石川先生は都立大に赴任され、私のミクロネシア調査が実現しました。それは、1975年に開催された沖縄海洋博覧会の政府出展館、「海洋文化館」に展示する物質文化を1年程度の調査によって収集するプロジェクトでした。全国から15名の大学院生がその計画に参加しました。都立大では大学紛争直後で沖縄復帰記念の博覧会に対する議論をしましたが、海外フィールドワークが困難であった当時、私は「節操もなく」参加を希望しました。その収集団の責任者が梅棹忠夫、委員が大島襄二、石川榮吉らの先生で、参加者は私のほか、吉岡政徳、船曳建夫、小林繁樹、大谷裕文さんら現オセアニア学会員でした。
第一次オイルショックで海洋博予算が縮減し、計画は5ヶ月ほどの収集調査になりましたが、私たちが収集したモノは75年7月から半年間、広大な海を表現した海洋文化館に展示され500万人の観客の目を楽しませました。(その海洋文化館は、現在、後藤明会員(南山大学)さんをリーダーとする委員会によって改修計画が進められています。)その後、石川先生には、創設間もない国立民族学博物館の助手に推薦してもらい、その後もオセアニア研究への情熱、オセアニア 学の発展、若手研究者の養成など、いろいろな石川構想を酒の場でお聞きするのが楽しみでした。
近年私を研究者に育ててくださった恩師と相次いで死別しています。石川榮吉先生のほか、埼玉大学で文化人類学ことはじめの手ほどきをうけた友枝啓泰先生、そしてみんぱくで研究者魂を叩き込んでくださった梅棹忠夫先生です。この石川榮吉賞の受賞を機に恩師のご遺志を生かすことの責任を改めて痛感しております。
日本オセアニア学会の会員のみなさまのご研究のいっそうのご進展と学会のさらなる発展を期待します。
第3回(2011年3月)
片山一道氏
第3回石川榮吉賞(推薦理由)片山一道氏は、1980年に仏領ポリネシア、ツアモツ諸島のレアオ島でポリネシア人を対象とする現地調査を開始した。それ以来、古人骨調査と生体調査を基軸にした定点調査を通じて、ポリネシア人身体特徴のユニークさの本質と理由を解明する独特の研究活動を続けてきた。1989年からは先史ポリネシア人の拡散に関する広域調査を主導し、ポリネシアを中心とする南太平洋でのフィールドワークは、クック諸島をはじめ合計11 か国におよんでいる。
特にラピタに関する研究では、形質人類学的側面から活発な講演・執筆活動を行い、日本におけるラピタ文化の知名度を上げ、日本におけるオセアニア学を普及させるために大いに貢献してきた。
学会活動については、その揺籃期の頃から評議員や理事などを歴任して学会活動を支えるとともに、2003年から2007年にかけて2期4年間、会長を勤め ることで、その発展に寄与した。
以上のように、オセアニア研究の振興に多大なる寄与を果たしたこと、くわえて、長年にわたり日本オセアニア学会の発展に貢献してきたことから、片山氏を石 川榮吉賞受賞者として推薦する。
(受賞の言葉)このたび石川榮吉賞を受賞する恩典に浴しましたことにつき、日本オセアニア学会の皆さま方に心から御礼申し上げます。石川先生の御芳名をいただいた賞を授けられるなど、ともかく私には、夢でも見るような話ですから、ことのほか嬉しく思っているような次第です。また、天にまします石川先生には、あらためて謝恩の意を表したいと存じます。それでもなお、先生の恩義に感謝する私の念は十分ではなく、百万遍の言葉でもたりないでしょう。
はじめてポリネシアの島を訪れ、そこで人類学の現地調査に参加する機会に恵まれたのは、齢おそく、すでに30歳代のなかば近くになっていました。1980年のこと、フレンチ・ポリネシアのレアオ環礁でした。今から考えても、よくも行くことができた、と思うほどに遠い世界でした。そのうえ、このうえないような貧しい小さな離島でした。それまでに抱いていたポリネシア世界に対する憧れのイメージは儚くも消え失せてしまい、ピンからキリまで何から何までもが無駄にできないような無いものづくしの現地生活は、ともかくカルチャーショックではありました。でも、ある意味、人類学のフィールドとしては理想的な場所だったのかもしれません。よくもまあ人間という動物、こんな島にまで渡り来て、わざわざ生業を成り立たせているものよのう、と。そんな驚嘆を肌で感じることが できたからです。その思いこそが、今日にいたる私のポリネシア人研究の原点となったのかもしれません。
そんな頃に座右の書となったのが石川先生の御高著です。先生の「南太平洋の民族学」(1978、角川選書)、「南太平洋」(1979、角川書店)、「南太平洋物語」(1984、力富書房)などは、テランギ・ヒロアの「南太平洋のバイキング」やR. サッグスの「ポリネシアの島文明」やP. ホートンの「最初のニュージーランド人」などとともに、当時の私にはバイブルがごときでした。また、どんどんポリネシア研究の深みにはまる契機となったのが、先生との邂逅であり、ビールのごとく溢れる貴重なる御経験談でした。洒脱で矍鑠とした乗せ上手の先生の語り口は、遅れてきた者をノリノリに乗せていく気流のようでした。
こんなわけですから、このたびいただいた石川榮吉賞の表彰状は、私の大切にすべき存在証明のようなものです。レアオ環礁の調査で始まった左腎臓のいくつかの結石、ポリネシアの島々で暮らしつつ次々と歯をなくしてきた上下顎、マンガイア島のサンゴ礁で怪我したときにできた右手第5中手骨の遠位端周辺の傷跡などとともに、長らく私がポリネシア研究に血道をあげてきたことを示す証となるわけです。これからの生涯の誇りなのです。
第4回(2016年3月)
吉岡政德氏
第4回石川榮吉賞(推薦理由)吉岡政德氏は、1974年からヴァヌアツ共和国(おもにペンテコステ島北部)においてフィールドワークを実施し、親族論や贈与交換論、そしてリーダーシップ論などに関する社会人類学的研究を主導してきた。近年では環境、観光、都市などの現代的な研究テーマにも積極的に取り組み、メラネシアあるいはオセアニアに立脚しつつ、グローバルな諸課題に対する応答を試みてきた。また1980年代以降、キリバス共和国やツバルのほか、パプアニューギニアおよびフィジー共和国の都市部においても調査研究をおこなうなど、オセアニア研究の発展に大きく貢献してきた。氏は、その研究成果を著書『メラネシアの位階階梯制社会─北部ラガにおける親族・交換・リーダーシップ』(風響社、1999年)、『反・ポストコロニアル人類学─ポストコロニアルを生きるメラネシア』(風響社、2005年)などに著している。
吉岡氏の本学会での活動としては、2007年から2011年にかけて2期4年間会長をつとめたほか、理事・評議員・幹事などの役職を長年にわたって歴任してきた。会長就任時の2009年には、氏の監修によって学会創立30周年記念誌『オセアニア学』(京都大学学術出版会、2009年)を刊行し、日本におけるオセアニア学のプレゼンスを内外に示した。
以上のように、オセアニア研究の振興に多大なる寄与を果たしてきたこと、くわえて、長年にわたり日本オセアニア学会の発展に貢献してきたことから、吉岡氏を石川榮吉賞受賞者として推薦することを決定した。
(受賞の言葉) 恩師、石川先生の名を冠した賞を授賞していただいたこと、たいへんに光栄なことと思っております。ありがとうございました。私がオセアニア研究者として研究を続けて来ることができたのも、ひとえに、先生のお陰であり、先生にはいくら感謝してもしきれません。
石川先生との出会いは1970年です。私が学部の2年生の時でした。当時立教大学におられた先生が、私の在籍していた埼玉大学に非常勤で講義されたときのことです。先生は、「ニューギニアのニューアイルランド島で家庭教師を募集しているが、誰か行きませんか?」と講義の後でおっしゃったのです。私はすぐに手を挙げました。マリノフスキーの著書を読んでオセアニアに魅力を感じていたうえ、異文化に身を置いてみたいという気持ちも強かったのです。しかし、相手側との連絡がうまくいかず、結局は、ニューアイルランドでの家庭教師の話はないことになってしまいました。
次に先生とお会いしたのは、1973年です。私は東京都立大学の大学院に進学しましたが、その前年に、石川先生が立教大学から都立大学に移ってこられていたのです。先生はニューアイルランド行きが実現しなかったことを気にかけてくださっていて、その次の年に実施された沖縄海洋博のための収集団の一員に加えてくださいました。その結果、念願がかなって、私はメラネシアのニューへブリデス(現ヴァヌアツ共和国)でフィールドワークをしつつ収集にあたるという機会を得ました。
1977年、日本オセアニア学会が発足しましたが、石川先生がお一人で封筒に設立の主意書を詰めている姿を見て、当時大学院生であった私と斎藤尚文(本学会)会員でそれをお手伝いしたことが、私とオセアニア学会とのかかわりの最初となりました。そうしたかかわりがあって、私は長い間学会の事務局を務めてきましたが、当時の事務局は理事、評議員とは切り離された下働きで、おまけに、学会誌を除くあらゆる仕事を一人でせねばなりませんでした。今よりも規模が小さかったからできたのだろうと思います。
1979年から1984年まで、私は東京都立大学の助手として勤めていましたが、あるとき石川先生に、「長期のフィールドワークをしていないのが残念です」という話をしたら、「フィールドワークに出る道はある」とおっしゃって、それから様々な尽力をしてくださいました。そして結局、常勤助手の身分を保ったまま、1年間ヴァヌアツにフィールドワークに出かける道を開いてくださいました。帰国した翌年の夏から秋にかけて、今度は、先生の科研のメンバーとして4か月キリバス共和国でフィールドワークをさせていただいたのです。このように、私の若い時期におこなったフィールドワークは、すべて、石川先生のお陰でなし得たことなのです。そしてその時の経験が、その後の私のオセアニア研究を支えてくれたことは言うまでもありません。
日本のオセアニア研究をリードされてきた石川先生はすでに他界されてしまいました。先生に直接指導を受けた者の多くも、年齢を重ね、研究の第一線から退き始めました。しかし先生がつけられた研究の道筋は、日本オセアニア学会の若い会員の中にも脈々と受け継がれていると確信しております。学会の益々の発展を祈念いたしております。

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