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学会通信(過去の学会 通信

このページは,2024年3月22日に最終更新されました。

※掲載論文については,こちらをご覧ください。


ニューズレターNo.138から

第41回 日本オセアニア学会研究大会・総会のお知らせ

第41回研究大会・総会事務局 小野林太郎

第41回日本オセアニア学会研究大会・総会を下記の通り開催いたします。今回はハイフレックス形式(対面・遠隔併用)にて開催いたします。参加申し込み頂 いた方には、大会事務局からEメールで対面およびオンラインの参加方法が送付されておりますので、ご確認ください。
プログラムは以下の通りです。

■日時:2024年3月24日
■場所:国立民族学博物館(みんぱく)2F 第4セミナー室
    〒565-8710 大阪府吹田市千里万博公園10-1
■アクセス:https://www.minpaku.ac.jp/information/access
※当館の開館は10時なので、それ以前に到着された方は職員通用口(下図参照)から入館ください。
■方式:ハイフレックス(対面・遠隔併用)

10:00-10:05    開会の辞:栗田博之(会長)
10:05-10:10    発表方法等の説明:小野林太郎(大会事務局)
10:10-11:25    研究報告第1部 座長:小野林太郎
 10:10-10:35     報告①:島﨑達也(遠隔)
         北硫黄島石野遺跡の発掘調査報告書における土器評価の問題
 10:35-11:00     報告②:山口徹・山野博哉(遠隔)
リモート環礁プカプカの先史人間居住と熱帯サイクロン:ジオ考古学の試み
 11:00-11:25     報告③:後藤明・長岡拓也(対面)
         空挺LiDARによるナンマトルおよびポーンペイ島の調査報告
11:25-11:40    休憩
11:40-12:55    研究報告第2部 座長:小谷真吾
 11:40-12:05     報告④:石村智(対面)
         チャタム諸島におけるポリネシア人の適応の特質
 12:05-12:30     報告⑤:塚原高広・吉井亜希子(遠隔)
         パプアニューギニア東セピック州沿岸村落部における母子の貧血
 12:30-12:55     報告⑥:岡村徹(対面)
         トク・ピシンの従属節を導く sapos をめぐって
12:55-14:00    ランチタイム
14:00-15:30    総会
15:30-15:40    休憩
15:40-17:40    研究報告第3部 座長:藤井真一
 15:40-16:05     報告⑦:高橋麻奈(対面)
ニウエにおける人々の「司法へのアクセス」における現状と課題
―小島嶼開発途上国における基本的人権を保障するためのシステムとは―
 16:05-16:30     報告⑧:土井冬樹(対面)
         マオリと博物館:脱植民地化を目指すパートナーシップ
 16:30-16:55     報告⑨:奥田梨絵(対面)
ミクロネシア連邦、ポンペイ島の現代首長国社会における位階称号保持者の特性分析
 16:55-17:20     報告⑩:山本真鳥(対面)
         トロブリアンド諸島の謎
17:20-17:25    閉会の辞:栗田博之(会長)

2023年度 日本オセアニア学会関西地区研究例会の報告

 
関西地区研究例会幹事 藤井真一

 2023年度の関西地区研究例会を以下の通り実施した。関西のみならず関東・北陸・九州の各地方から計11名が会場に参集し、オンラインを含めると計 17名が参加した。

【開催日時】2024年2月3日(土)
【開催方法】国立民族学博物館 第7セミナー室(Zoomを用いたハイフレックス開催)

【プログラム】
14:15-15:05 発表者が制作した映像作品の上映
 「SAGAE ver.FN」
15:15-16:20 研究発表
門馬一平(国立民族学博物館特任助教)
「贈与の意味を奪い合う――パプアニューギニア・サイサイ地域の葬送儀礼」
16:20-16:45 コメント
小田亮(首都大学東京元教授)
比嘉夏子(岡山大学文明動態学研究所客員研究員/合同会社メッシュワーク)
16:55-17:30 全体討論

 本年度の関西地区研究例会では、パプアニューギニア南東に位置するルイジアード諸島での民族誌調査に加えて映像制作も手掛けてきた門馬一平会員を迎え、 制作された映像作品の上映と映像作品の解題を兼ねた研究報告をしていただいた。オンライン参加者へはYouTube上にアップロードされた映像作品のリン クを知らせて個別に視聴していただくこととした。
 門馬一平会員は、ルイジアード諸島において人の死を起点に始められる贈与を考えるうえで重要なタウ‐ナトゥ関係やガボブといった概念を説明した。それを 踏まえ、自身が参加した葬送儀礼「サガエ」を事例に、贈与が儀礼参加者たち個々人の意図や思惑(アクチュアリティ)を集団に共有・承認されたリアリティへ と変換する様態を示し、その際に儀礼参加者間でみられる競覇的な行為を「意味の奪い合い」として論じた。
 コメンテーターの小田亮氏は、それぞれ意図・思惑をもつ儀礼参加者たちがどのようなリアリティ(集団に共有されたもの)にするのかをめぐって争う「意味 の奪い合い」という論点を取り上げ、「意味の奪い合い」で勝敗を決した特定個人のアクチュアリティが集合的・単一的なリアリティを生み出すと考えるのでは なく、個々人の意図や思惑の不一致を含みつつ集団に共有された複数のリアリティが生み出されていると考えるような、より踏み込んだ考察の可能性があること を指摘した。
 もう一人のコメンテーターである比嘉夏子氏からは、発表のキーワードともなっていた「個人」や「個人的なもの」および意図・思惑といった概念について、 オセアニア地域研究における個と集合をめぐる議論や関係性をめぐる議論に照らして整理し直せば、より鋭い分析が可能となるだろうとのコメントがあった。ま た、「意味の奪い合い」として分析された事例について、ある行動が怒りや不満の表出ではなく怒りの演技として本人にも周囲の人びとにも承知されていたとい う例を取り上げ、「演じる」ということが彼らにとってどういうことかを説明すると、勝敗が明確となるような「奪い合い」ではなく調整や交渉のような側面が 見えてくるのではないかという提案があった。
 全体討論では、対面参加者からもオンライン参加者からも多くの質問やコメントがあり、発表者との間で活発な議論が交わされた。本研究例会は盛況のうちに 閉会した。
 

2023年度 日本オセアニア学会関東地区研究例会の報告


関東地区研究例会幹事 紺屋あかり

2023年度の関東地区研究例会を以下の通り実施した。

【開催日時】2024年2月23日(金)14時00分~17時30分
【開催方法】 明治学院大学 白金校舎本館1405(Zoomを用いたハイフレックス開催)

【プログラム】
【開会】 
14:00-14:05
【発表1】
14:05-14:55 発表者:臺浩亮(東京都市大学)
「日本人によるニューギニア民族資料の収集――龍江義信の事例を中心として」
14:55-15:10 発表1に対するコメント:馬場淳(和光大学)
15:10-15:40 全体での討論
【発表2】
15:55-16:45 発表者:橋爪太作(明治大学)
「切り開かれた土地の上で:ソロモン諸島マライタ島北部における(ポスト)森林伐採から考えるローカル−グローバルの接合」
16:45-17:00 発表2に対するコメント:石森大知(法政大学)
17:00-17:30 全体での討論
17:30 閉会

 本年度の関東地区研究例会では、メラネシア地域を対象とする会員2名の発表者とコメンテーターを招待した。当日は、オンライン参加も合わせると合計16 名(対面14名、オンライン2名)の参加があり、各発表に対して活発な意見交換がなされた。いずれの発表に対しても多くの質問が寄せられ、予定していた時 間におさまらないほど白熱した議論がおこなわれた。
 臺浩亮会員は、歴史人類学の視点から、ニューギニアにおける現地踏査(1897年から1903年)や民族資料の収集に注力した日本人・龍江義信に注目 し、彼がどのような目的でどのように収集活動を行なったのかについて、資料分析に基づいて報告した。また、龍江義信と関わりのあった人物(調査を共にした 小嶺磯吉)、寺(本願寺)、及び東京人類学教室などでの交流の軌跡なども踏まえつつ、龍江の収集活動が複数のネットワークから成り立っていた事実なども併 せて報告された。
 臺浩亮会員の報告に対して、コメンテーターの馬場淳会員からは、概ね2点の指摘があった。1点目は、収集活動をめぐるより幅広い様々な関係性に関して、 例えば現地での交渉の手法や、現地における白人とのつながりに関する分析可能性が示された。2点目は、収集された民俗品からみる龍江の美的・文化的価値観 についても、詳細な検討を重ねることで、仏教的な美と収集された民芸品との関係性などが見えてくるのではないかなどといった指摘があった。また会場から も、ニューギアにおける同時代的な文脈に沿わせて再検討する視座や、食人に対する龍江の眼差し方などについて質問があった。
 橋爪太作会員からは、現代人類学の視点から、ソロモン諸島マライタ島北部西ファタレカ地域における森林伐採事業とその後の開発についての報告があった。 2020年以降加速した森林伐採企業の進出や、新たな開発援助といったグローバルな流れを受けて、ローカルな人々がどのように応答するのかについて、近年 のフィールドワークに基づく分析が示された。森林伐採の際に使用する道具の変化、それに伴う高木の資源利用化、あるいは祖先の土地とのつながり方や埋葬の 手法の変容などといった事例が提供された。
 橋爪太作会員の報告に対して、石森大知会員は、ポストエコロジー運動とのつながりや、メラネシアにおける人々の移動を検討するうえで示唆に富む事例であ るとコメントした。そのうえで、現地の人はポスト自然という感覚をどのように認識しているのか、あるいは、欧米における環境エコロジー思考と今日の当該地 域の森林伐採の状況が今後どのように関連していくのかなどといった問いかけがあった。また、キリスト教の4つの異なる宗派間において、森林伐採及び環境を めぐる認識にどのような差異が生じうるのかなどといった質問が投げられた。


ニューズレターNo.137から

第23回日本オセアニア学会賞選考要項

2023 年度日本オセアニア学会賞選考委員会


1. 本学会賞受賞資格者は本学会会員で、対象となる著書または論文の刊行時に原則
として40 歳未満とする。対象となる著書または論文は1 編とし、2022 年1 月1 日か
ら2023 年12 月31 日までに刊行されたものとする。なお、該当する著書または論文が
複数の著者によるものの場合は、筆頭著者のものに限定する。

2. 候補者の応募は自薦あるいは本学会員からの他薦による。他薦による場合は、他
薦者は被推薦者(候補者)の了解を得ていることが望ましい。

3. 自薦の場合は、選考対象となる著書または論文について、1 部以上を日本オセアニ
ア学会事務局宛に送付するものとする。送付に際し、連絡先(住所、E-mail アドレス)
を明記するものとする。

4. 他薦の場合は、推薦者の氏名と被推薦者(候補者)の氏名、被推薦者の連絡先(住
所、E-mail アドレス)、および被推薦者の選考対象となる著書または論文名を明記する。
雑誌論文の場合は、雑誌名、巻号、出版年を、著書の場合は著書名(分担執筆の場合
は、担当章のタイトルと著書のタイトル、編者名)、出版社、出版年を明記する。この
場合も、著書または論文を日本オセアニア学会事務局に送付することが望ましいが、
送付されていない場合でも受理する。なお、推薦理由が必要であると判断する場合は、
200 字以内の推薦文を添付してもよい。

5. 応募期間は 2023 年11 月1 日から2024 年1 月15 日まで(必着)とする。

6. 送付先は下記とする。自薦の場合は、著書または論文を同封する必要があるので、
郵便ないしは宅配便で送付することし、他薦の場合は郵便以外に E-mail でも受け付
けることとする。
(日本オセアニア学会事務局)
〒110-8713 東京都台東区上野公園13-43
東京文化財研究所 無形文化遺産部 音声映像記録研究室(石村行)
TEL 03-5809-0428 FAX 03-3823-4854
E-mail:secretary[アットマーク]jsos.net

7. 事務局は自薦および他薦の書類を受領してから1 週間以内に、受領した旨の連絡
をし、受領書類を選考委員長へ郵送する。

8. 2024 年1 月16 日以降、選考委員会は厳格な審査を行い、その結果を本年度の本学
会総会の開催前に理事会に報告する。

<注 記>
1. 応募者はPCO に論文を掲載したことがあるか、掲載したことがない場合は、受賞
後数年内に PCO へ投稿することが望まれます。
2. 選考を円滑に進めるため、すでに刊行されている書籍または論文については、募集
期間が始まり次第、速やかに、応募して下さるようお願いします。
3. オセアニア地域に関わるあらゆる研究分野の作品が対象となっています。

日本オセアニア学会賞規定


第1条(目的)
日本オセアニア学会はオセアニア地域における人間、文化、社会、環境などの研究の
振興を目的とし、「日本オセアニア学会賞」を制定する。
第2条(資格)
日本オセアニア学会員であること。
第3条(対象)
オセアニア地域研究に関し、前年度及び前々年度において最も優秀な著書又は論文を
公にした個人。但し、刊行時において原則として満40 歳未満の者とする。
2 賞の授与は各年度1 名とする。
第4条(選出方法)
賞の選考は理事会が委嘱した5 名の日本オセアニア学会賞選考委員が行う。
2 以上の選考結果に基づき理事会が受賞者を決定する。
第5条(賞の授与)
賞の授与は日本オセアニア学会総会で行う。
第6条(賞状等)
受賞者には賞状等を授与する。
附則
この規定は平成13 年4 月1 日より施行する。
附則
本規定の改定は令和2 年7 月31 日より施行する。

第41回日本オセアニア学会研究大会・総会のお知らせ

第41回研究大会・総会事務局 小野林太郎

 第41回日本オセアニア学会研究大会・総会を下記の要領で開催いたします。今回はハイブリッド形式(対面&オンライン)にて開催いたします。会員の皆様 の多数のご参加をお待ちしております。参加および発表エントリーにつきましては、Googleフォームを使用します。下記のリンクよりアクセスしてくださ い。
https://forms.gle/ccoaa179y8Aoeamf9

◆日時
2024年3月24日(日)10:00〜17:30 (時間は仮のものです。発表者数等により後日、調整いたします。)
(理事会および評議会:研究大会日の1〜2週間前に別途Web会議で開催予定)
※24日(日)9:30よりZoom上に入室できるように設定します。


◆会場
対面:国立民族学博物館(みんぱく)2F 第4セミナー室
〒565-8511 大阪府吹田市千里万博公園10-1
アクセス:https://www.minpaku.ac.jp/information/access
オンライン:参加者には大会の前日までにZoomのURLを登録されたメールアドレス宛に送付する予定です。

◆参加費
有職者・無給者(大学院生・学生等)ともに無料(対面・オンラインともに)

◆参加・発表申し込み
研究大会・総会について、参加の可否、研究発表の有無などを、参加申込用のGoogleフォームにてご記入ください。また発表される場合は、「発表題目」 と「発表要旨」(wordファイル作成400〜600字程度)をフォームにアップロードしてください。
締め切りは2月18日(日)です。
またフォームをご利用いただけない場合は、氏名と連絡先を明記の上、Eメールで必要事項を研究大会・総会事務局にお知らせください。
研究発表の時間は演題数にもよりますが、質疑応答を入れて30分程度を予定しています。

◆問い合わせ先(事務局)
国立民族学博物館 学術資源研究開発センター 小野林太郎
〒565-8511 大阪府吹田市千里万博公園10-1
E-mail: oceaniataikai41[アットマーク]gmail.com

2023 年度日本オセアニア学会関東地区研究例会のお知らせ

関東地区研究例会幹事 紺屋あかり

日時:2024 年2 月23 日(金)14:00−17:30 (18:00 頃から品川駅周辺にて懇親会)
場所:明治学院大学 白金校舎 本館1405
開催形態:対面(参加者からの希望があればハイブリット対応)
参加受付用のGoogle form は以下となります。研究会の前日2 月22 日(木)18:00 までに事前登録をお済ませくださいますようお願いいたします。
https://docs.google.com/forms/d/1Bi0Itau11VKr0pdJnsE0X4ujf2c7-95jk50KBa_HrgM/edit

スケジュール
【開会】
14:00-14:05
【発表1】
14:05-14:55 発表者: 臺浩亮(東京都市大学)
14:55-15:10 発表1に対するコメント:馬場淳(和光大学)
15:10-15:40 全体での討論
【発表2】
15:55-16:45 発表者:橋爪太作(明治大学)
16:45-17:00 発表2に対するコメント:石森大知(法政大学)
17:00-17:30 全体での討論
17:30 閉会

発表タイトルと要旨
・臺浩亮さん(東京都市大学)
タイトル「日本人によるニューギニア民族資料の収集:龍江義信の事例を中心として」
概要:19 世紀末以降、宣教師や貿易商、博物学者らがニューギニア各地を来訪し、熱心に民族資料を収集してきたことはつとに知られている。民族資料の「収集の現場」で生起したダイナ ミックな絡み合い・せめぎ合いを巡る歴史人類学・博物館人類学的研究では、現地収集者の個別具体的な活動内容のみならず、現地島民側の主体的な在り方・目 論見にも照射してきた。他方、現地収集者の中に非欧米出身者がいたことを示す記録が複数確認されているものの、彼らの目論見や活動の来歴を詳細に検討した 研究は少ない。
本発表では、「【収集する欧米出身者】と【譲渡する現地島民】」という二項対立的な枠組みに単純化できない「収集の現場」の実相に迫るために、1897 年から1903 年にニューギニアにおいて現地踏査や民族資料の収集に注力した日本人・龍江義信が、どのような目論見をもって南洋に赴き、どのような活動を展開したのかを、アーカイブ資料 や民族資料から読み解いていく。

・橋爪太作さん(明治大学)
タイトル「切り開かれた土地の上で:ソロモン諸島マライタ島北部における(ポスト)
森林伐採から考えるローカル‐グローバルの接合」
概要:近年、太平洋地域におけるアメリカと中国の対立が激しさを増している。こうした国際状況の変化は、両陣営による開発援助の増加という形で、現地の 人々の生活にも直接的な影響をもたらしつつある。本発表では、このようなグローバルな変化に対するローカルな応答のあり方を考察する手がかりとして、ソロ モン諸島マライタ島北部西ファタレカ地域における森林伐採事業とその後の開発について検討する。
隣のガダルカナル島民との紛争や人口増加、さらにはキリスト教への改宗によって断絶したアイデンティティの不安を背景として、今世紀初頭からマライタ島で は内陸
部にあるクランの「故地」への帰還運動が盛んになっている。同時期に急増した華人系森林伐採企業の進出は、中国・東南アジアの経済成長のみならず、こうし たローカルな「開発」の文脈にも位置づけられる。
ここから、まず一見して収奪的に見える森林伐採事業を、焼畑農耕を基盤とした伝統的な自然環境との関わりの中で生まれた現地の自然観と、それに基づいた動 態的な土地利用の中で考察する。
さらに、他者の自然認識をめぐる近年の人類学的議論と西ファタレカの事例を比較検討することを通じて、前者の理論的前提を再考するとともに、現代的開発理 念が浸
透しつつあるマライタ島の今後を新たな視点から考察する。

問い合わせ:
紺屋あかり konya アットマークk.meijigakuin.ac.jp (“アットマーク”を“@”に変えてください)

2023 年度日本オセアニア学会関西地区研究例会のお知らせ

関西地区研究例会幹事 藤井真一

2023 年度の関西地区研究例会では、パプアニューギニア島嶼部での調査に加えて映像制作も手掛けてきた門馬一平会員をお迎えし、制作された映像作品の上映と映像作品の解題を兼ね た研究報告をしていただきます。下記の要領で実施予定です。多くの方のご参加をお待ちしております。
日時:2024 年2 月3 日(土)14:00~17:30
会場:国立民族学博物館(2 階)第7 セミナー室/オンライン
※参加希望の方は、対面・オンラインいずれの場合も以下のURL より事前登録をお願いします。
https://forms.gle/wsfmR2jTP6ePCJNZA
※参加者の皆様へは、当日までにzoom のURL をお知らせします。なお、受付は例会前日の2024 年2 月2 日(金)18:00 までとさせていただきます。

プログラム:
14:00-14:50 発表者が制作した映像作品の上映
「SAGAE ver.FN」
15:00-16:00 研究発表
門馬一平(国立民族学博物館特任助教)
「贈与の意味を奪い合う――パプアニューギニア・サイサイ地域の葬送儀礼」
16:00-16:40 コメント
小田亮(首都大学東京元教授)
比嘉夏子(岡山大学文明動態学研究所客員研究員/合同会社メッシュワーク)
16:45-17:30 全体討論
主催:日本オセアニア学会
共催:海域アジア・オセアニア研究プロジェクト国立民族学博物館拠点
協力:国立民族学博物館
問い合わせ:
藤井真一 fujii-shinichi-rm アットマークalumni.osaka-u.ac.jp (“アットマーク”を“@”に変えてください)


学会通信


新入会員

笹本美和(千葉大学大学院人文公共学府)
*新入会員の連絡先についてはsecretary[ア
ットマーク]jsos.net にご連絡下さい。問題
なければ紹介いたします。
*ご所属やメールアドレス変更、退会希望
の場合は、secretary[アットマーク]jsos.net
にご連絡下さい。

ニューズレターNo.136から

【追悼】大塚柳太郎氏(1945-2022)


大塚さんが成し遂げたこと

中澤 港(神戸大学)

言うまでもなく、大塚さんは日本オセアニア学会と日本生態人類学会の創始者の一人であるから、もちろんパイオニアであり、日本におけるこれら2つの学問 分野の発展に大きな役割を果たしたし、多くの後進を育てた。もっとも、大塚さん自身が育てたと常々口にしていたのは門司(和彦)さんと稲岡(司)さんのこ とだけなので、多くの後進が育った、と書くべきなのかもしれない。しかし自分自身、一次情報の客観的記録を重視する(少なくとも主観的なものと峻別する) 研究のスタイルにしても、学生の興味や自律性を尊重する教育のスタイルにしても、大塚さんの影響を強く受けていることは否めないし、勝手に育ったと嘯くつ もりもないので、やはりここは最初の文章通り、多くの後進を育てた、とするのが妥当だろう。
 自分が卒論を書こうと思って人類生態の門を叩いたのは学部3年生で、指導教員は鈴木(継美)先生、時期としては1986年の暮れだったから、大塚さんは たぶん3度目の長期間ギデラ調査に入っていて不在だった。つまり、既に『Oriomo Papuans: Ecology of Sago-Eaters in Lowland Papua』(1)は出版済みであっただけでなく、パトリシア・タウンゼンドがPacific Studiesに書評(2)を書いた1985年よりも後のことである。この書評によって世界の人類学者やオセアニア研究者の間で大塚さんのプレゼンスが確立したのだと思う が、タウンゼンドは大塚さんがやりたかったことを正しく理解していて、その筆致はどこか挑発的ともいえる。「一般的なエスノグラフィーを期待する読者は失 望する」「意図的な戦略として言語の使用を最小化し測定による客観的なデータを得ていることで、文化的側面の欲しい記述がないことへの不満や系譜人口デー タの信頼性に疑いを持ってしまうという限界がある」けれども、その縛りの中ではきわめて有用な本だと評する。1971年から72年の長期単独調査の結果を メインに、1980年から82年の河辺(俊雄)さん、秋道(智彌)さん、稲岡さんとの4人での1人1村を担当して行われた定量的な食事調査と行動調査から 得られたデータを随時引用しながら、サゴヤシデンプンがエネルギー摂取の60%、狩猟動物がタンパク摂取の60%を賄っていること、ウオニエ村の住民に とってサゴ作りの労働生産性は焼き畑の2倍に上ること、サゴ作りとココナツ採集についての世帯間での協業クラスタが示されたことなど、主要な結果を紹介し た上で、「熱帯低湿地の気候に日本人のようには適応できないため欧米人には長期調査が不可能で、それゆえこれまでほとんど研究報告がない」ギデラの人々に ついて、4人での調査結果をメインとする続報に期待する、と書いている。日本人研究者ならではのオセアニア研究を打ち立てようとする気概を正しく汲んでく れている書評である。
 4人での調査結果には、視力、握力などの生理機能評価や、身長、体重などの生体計測値から成長評価や栄養評価、食物や毛髪中の微量元素濃度測定結果から みた物質循環の様相まで含めた結果が含まれていたので、鈴木先生以下人類生態学教室の総力を挙げ、外部の協力も得て研究が進められ、論文の形で順次発表さ れながらも、成書となったのは1990年であった(3)。なお、タウンゼンドの書評では批判されているが、家系図を遡って聞き取った系譜人口学データも重 要な挑戦であった。キリスト教圏には文字資料としての教区簿冊があるため、歴史人口学研究は進展したが、無文字社会において聞き取りによって数世代に渡る 正しい系譜を再構成するのは容易なことではなく、欧米の研究者は泥臭い系譜人口学をほとんど行ってこなかった。大塚さんは、このデータから娘母親比を計算 し、世代時間を仮定してギデラの人々の年人口増加率が0.2%と低く安定していたと推定した(4)。人口増加と移動の組み合わせに注目し、ギデラの中心に 近い内陸では人口増加率が高く、そこから人々が転出した先の南方川沿いや海岸では死亡率が上がって人口増加率が負になっていることも示し、さらに近代化の 影響を受けてからは年人口増加率が3%まで上昇したことを示した(5)のは、小集団人口学としてはもちろん、小地域生態系の人口支持力の多様性と人口移動 の関連に取り組んだ、人類生態学ならではの画期的な成果といえる。
ギデラ研究においては、次のステップが栄養適応と遺伝適応を分子レベルで明らかにすることで、そのために行われたのが、1989年7月から9月までの採血 を伴う調査だった。自分は修士課程の院生としてこの調査に参加し、血液サンプル前処理及びヘモグロビン、ヘマトクリットなどの測定を主に担当した。この データからは、これまでのフィールドワークでは観察と聞き取りから推定することしかできていなかった、マラリア罹患リスクの村落間差を血清中の抗体価分布 から裏付けることができたし、鉄摂取とマラリア罹患リスクと貧血の間にある三つ巴の関係が長期的な適応の結果かもしれない可能性を示すことができたし、ミ トコンドリア多型からギデラには数万年前から少なくとも5回の人口流入があったことや、B型肝炎は多いがHIV/AIDSはまだ入っていないことなど、オ セアニア地域ではかなり画期的と思われる成果が多数生まれた。さらにいえば、倫理的な制約が年々厳しくなり、このように背景が明確な小集団からの集団レベ ルの代表性のある血液サンプルがとれている例は稀であることから、このときのバッフィーコートから精製した遺伝子サンプルは、いまだに人類遺伝学的な研究 に使われ続けている。
 一方、ギデラ以外の研究も1985年頃からパプアニューギニア北側の海洋民、東部高地と南部高地の常畑イモ農耕民、きわめて土地が痩せた山地民、高地と 南部低地の間に広がる丘陵地の焼畑農耕民、鉱山からの重金属汚染が疑われている湖の周辺住民、高地から首都への移住者、とさまざまな対象へ拡大した。それ ぞれに大学院生や若手研究者がかかわって博士論文を書き、研究者として育っていくのと同時に、これらの研究から、多軸の比較生態学的分析が可能になった。
 20世紀のうちから南アジアや東南アジア、ポリネシアでの研究は始まっていたし、そのうちバングラデシュの井戸水のヒ素汚染の研究やトンガの肥満と遺伝 子多型の研究は後に大きく展開することになったが、大塚さんが率いた本格的な多地域の異分野共同研究プロジェクトは、21世紀に入ってすぐに始まった未来 開拓研究だった。現在のプラネタリーヘルスやSDGsからしても先駆的な試みだったと思うが、沖縄、中国海南島、ソロモン諸島を調査地として、各地域社会 それぞれ異なるやり方で行われる開発による地域社会への影響とその緩和方策を明らかにした。この研究では歴博の篠原(徹)さんが海南島班、東文研の松井 (健)さんが沖縄班を率い、大塚さん率いるソロモン班と、それぞれ半自律的に研究を進めた反面、全体に共通するフレームワークの構築のため、環境倫理学の 鬼頭(秀一)さんもチームに参加し、在地リスク回避、環境的正義、といった6つの軸による新しい環境=人間生態系の捉え方を提唱した。そこに関わる中で、 自分もMAM-CAという環境リスク評価法を提案した。この研究で各地に長期間投入されたフィールドワーカーの多くは、今では大学や国研のPI研究者とし て活躍しているし、日本オセアニア学会や日本生態人類学会でも中心的な役割を担っている。
さらに、ほぼ同時並行で進展した、東南アジア島しょ部のインドネシア、メラネシアのソロモン諸島、ポリネシアのトンガという3地域を遺伝生態学的に調査す るという、1989年のギデラから始まった血液サンプルを使った人類遺伝学的分析、血清生化学的分析と、食事調査、行動調査、生体計測などを組み合わせ て、オセアニア地域の人類集団の歴史的移動から各地域における適応像を明らかにする研究も画期的であった。この研究で得られた遺伝子サンプルや遺伝情報 データも、現在でも疾病罹患やライフスタイルとの関連を分析する人類遺伝学研究で使われ続けている。
 自分は地域の人類生態系理解のためにマイクロシミュレーションモデル化することの有効性を学生の頃から唱えていて、酔っ払った大塚さんから「それの何が 面白いの?」と問われる度に、十分な説得力をもった答えを出すことができなかったことは、今でも悔やんでいる。本稿を書いていて気づいたのだが、現在の計 算資源とITを最大限に活用すれば、ここに挙げたすべての研究で得られたデータに、自分の調査地もオセアニアと東南アジアの諸集団だし、大塚研究班の元で 育った研究者の多くも同地域をフィールドとして研究を続けているので、そのすべてを含む、長期間の個人ベースシミュレーションモデルを構築してPan- Oceanic Ethnohistory Model的なものを構築できる可能性はある。少し本気で考えてみようかと思っている。
(1) Ohtsuka R (1983) Oriomo Papuans: Ecology of Sago-Eaters in Lowland Papua. University of Tokyo Press, Tokyo.
(2) Townsend P (1985) Book review on "Ryutaro Ohtsuka, Oriomo Papuans: Ecology of Sago-Eaters in Lowland Papua. Tokyo: University of Tokyo Press, Columbia
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University Press, 1983", Pacific Studies, 9(1): 185-187.
(3) Ohtsuka R, Suzuki T [Eds.] (1990) Population ecology of human survival: bioecological studies of the Gidra in Papua New Guinea. University of Tokyo Press, Tokyo.
(4) Ohtsuka R (1986) Low rate of population increase of the Gidra papuans in the past: A genealogical-demographic analysis American Journal of Physical Anthropology, 71(1): 13-23. doi:10.1002/ajpa.1330710103
(5) Ohtsuka R (1996) Long-term adaptation of the Gidra-speaking population of Papua New Guinea. In: Ellen R, Fukui K [Eds.] "Redefining Nature: Ecology, Culture and Domestication". pp.515-530. Oxford: Berg.

大塚さん、柳太郎さんとの出会いと別れの歳月

片山一道(京都大学・名誉教授)

このところ、ひとり逝き、また一人逝き。暗き道なお、暗くつづく深き道なり。近頃、そんな心境の日々である。小生が長らく畏敬してきた友人知人との永別 を告げる知らせが続いてあった。悲しくてつらい、寂しくてやるせない。そんな別れのときが近頃、またきた。大塚さん、ときに柳太郎さん、ごくまれに柳さん と呼んでいた方、その人である。なんともやるかたなき思いが、いつまでも続くから、吾が心の寂しさは、いっこうにまぎれることなどない。ともかく惜別の思 いは、むしろだんだんと募るばかりだ。終わりがない。ここでは、しばしの間、大塚さんのことを想い、柳太郎さんの人柄を偲び、長らくお世話になってきた御 縁のいくつかを懐かしみながら、思いつくままに記憶を呼び戻してみたい。
 昨年の年の瀬がおしせまる頃、まるで逝き急ぐかのように卒然と、大塚さんは旅立たれたらしい。旅支度は十分だったのだろうか。あれでいて、けっこうせっ かちなところがあった大塚さんのことだから、せわしなげにフライイング気味に出発されたのではないだろうか、と、つまらぬことばかりが気になる。

<ビールと囲碁をこよなく愛した大塚さん>
 人生の長きにわたり、およそ半世紀ほどにも及ぶ、公私にまたがる私たちの交遊であった。南太平洋地域研究やポリネシア人類学などと関係するオセアニア学 会関係の学術活動や学会活動、講演や出版や教育などの諸活動を共にしながら、まるで気持ちや気分を預け合った盟友のような、あるいは戦友のごとき歳月だっ た、かに思う。交誼にあつい御仁だった。ビールと囲碁とをこよなく愛する人でもあった。まずはビールでとばかりに、会えばまず、ビールで乾杯。さらに、そ の昔は、いつどこを問わず、囲碁の一戦をまじえることとなった。
 かくて、ビール片手にアレコレと談論。碁石を並べながらの近況談。ときに二人連れの酔っぱらいが夜遅くになって、東京ならば練馬の「大塚亭」、京都なら ば中立売の「片山宅」に向かうこともあった。そんなふうに近しき盟友か朋友のように遇していただいた歳月を思うとき、いただいた喜びに目が熱くなる。
 ちなみに、囲碁の打ち方には打ち手の性格が強く表れるもの、と宣う論者あり。そのために誰かの碁を評するとき、「筋が良い」とか「筋悪」だとか、「山賊 碁」だとか「仙人碁」とか、「美しき碁」か「清らかな碁」とか、などなど。人間の個性や品格などを形容する語を堂々と紛れこませる人が多いのだが、その伝 で言えば、大塚さんの場合、あわてず騒がず、うろたえず、品のある形の良い碁だった。たしかに「筋が良く」、適度に気持ちの乗る「淡々とした清々しい正攻 法の碁」だった。大塚さんも小生も、実は、1945 年生まれなのであった。このことを私自身が知ったのは、もしかしたら、知り合って何年かしてからだったか、と思う。いささか驚いたことを覚えている。なぜなら、同じ年の生 まれとは思えないほどに、にじみ出る貫禄のようなもの、素養・教養のようなもの、人間としての質量のようなものが違いすぎるように感じていたからだろう (実際、彼は「早生まれ」である)。あらためて<日本の1945 年>という年、その年の特殊性について実感し、達観したような次第である。まさに日本一長い奇跡のような一年だったのだが、そんな年に
私たちたちは産まれた。だからこそ、二人が邂逅し親密になれたことは、あるいは、ちょっとした奇跡のような出来事だったのかもしれない。

<大塚さんの研究室を初めて訪ねた頃>
 ところで1980 年のこと、私自身は念願が叶い、ポリネシアの海と空のはざまに浮かぶ島々でフィールド調査に参加する機会を得た。社会人類学者の畑中幸子さん(岩波新書『南太平洋の環礁に て』1967、など)率いる海外学術調査隊に加わり、仏領ポリネシアのツアモツ諸島レアオ島などで、自然人類学関係の調査を担当した。その一環として、タ ヒチ博物館で古い墓地の発掘調査に加わり、マラエ(巨大な古代の祭祀遺跡)で発掘された古人骨の調査などを手がけるなど吾流のオセアニア人類学研究のデ ビューを果たした。そんな頃、大塚さんの東京大学医学部人類生態学教室を初めて訪ねた。集団遺伝学という分野の研究活動に励んでいた関係で「日本の婚姻習 俗」に関するデータが多く載る『民族衛生』という学会誌を見せていただいたときだった。この年は、吾が人生での最大の山場、あるいは節目の年となった。も とより、人生なかばにして、なにもかもが大きく変わることになった。勤め先と居住地。それに伴う人間関係。さらには、研究テーマ、研究活動、およびフィー ルド調査地などなど、身のまわりの多くのことが、大袈裟に言えば、ドラスティックに大転換したのだ。九州の地に大分医科大学に転任(大阪医科大学から)、 オセアニア人類学と骨考古学へ転向した(人類遺伝学から)、などなど。そんな折、石川榮吉先生(東京都立大学人文学部、角川書店『南太平洋―民族学的研 究』1979)と、吾らが大塚柳太郎さんを中心に日本オセアニア学会なる学会組織が産声をあげることになった。1982 年の頃だったか、と記憶するが生憎、その
時の事の詳細は定かでない。吾が記憶は耄碌寸前の状態にある。その学会誌、“Man and Culture in Oceania” (略称はMCO、のちに“People and Culture in Oceania”、PCOに改称)は1984 年あたりに発刊されたのだったか、と思う。初代の学会長は石川先生、学会誌の編集委員長が大塚柳太郎さんだった、と思う。石川先生と大塚さんの薫陶よろしく、学会も学会誌 もスクスクと芽を吹き良く育っていった。1982 年になり、私自身は、大学院生時代を過ごした京都大学理学部人類学講座へ助教授での転進となった。オセアニア学会関係の雑用などで、あるいは、数多ある学術誌のバックナン バーを見せてもらうなどのために、大塚さんの人類生態学教室を訪ねる機会が多くなっていたが、さらに、その機会が増した。

<「マーメイド・タバン(人魚亭)」を根城にした頃>
 その後さらに、1985 年の頃から10 年ほどの間の頃には、大塚さんがいた東京大学医学部人類生態学教室を訪れる機会は、さらに増し、しばしばあった。その多くは、大塚さんが主宰するオセアニア学会関係のミー ティング、学術出版物の編集、研究会やシンポジウム等の打ち合わせであった。コンスタントに年何回かはあったはずだ。毎回、私自身は楽しみで仕方なかった (もちろん、会議そのものが、というわけではないが、後述)。さながら、オセアニア学会版「梁山泊」であった。大塚さんのいた人類生態学教室には、たいへ ん頃合いの良い談話室、ミーティングルーム、あるいは茶飲み部屋と呼ばれる小さなスペースがあった。と言っても、正確には、どう呼んでいたのか、もう私に はさだかでない。要するに、大学の研究室にありふれた茶飲み部屋である。会議室の入り口側の隅にあり、小さな冷蔵庫とガスコンロ、コップ類などが棚に並べ られており、昼どきには、誰かさんが弁当などを食べていたり、スタッフや大学院生の人たちがだべっていたりもする。夜には、お茶などを飲んではるグループ あり。まあそんな処であり、10 人前後でいっ
ぱい。そんな一角である。この茶飲みサロンの楽しみは、たいてい夕方にやってくる。早いときは、5 時過ぎを潮どきに、この談話ルームで始まるビール・タイム(文字どおり、ハッピイアワーなのだ)の始まりが至福の時間だ。ともかくビールが旨くてたまらない部屋だった(つ まり、大塚さん御自慢のスペースだったのだ)。お腹も空いた頃合いだから、たとえばピザ、すし、サンドイッチなどの軽食類ならば、それはもうハッピーその もの。それに退屈な会議で疲労困憊した大脳の眠気払いの刺激としては、ビールがもたらす雑談、冗談、軽口談の効果に勝るものなし。じきにワイワイがやが や。やがては、井戸端会議風か、サロン会話団欒風か。そして論風発風の極みとなろう。いろんな話題が飛び交いながら、その小宴会は、やがて夜の時間帯に移 行していき、3 時間かそこらも続くだろう。やがて、お開きとなるだろう。だが、たまには、10 時とか11 時の遅くまで続くことがあり、そんなときは、さすがに翌日のために難儀なこともあったが、ここで醸し出される談論風発の雰囲気は誠に気分が良かった。癖になりそうなのでは なく、十分に癖になったものだ。だから、その場から立ち去るには勇気が必要だった。
 ところで、いつの頃からか、小生の手帖のメモ欄や予定欄には、「マーメイド・タバン(人魚亭)」なる怪しげな文字が登場するようになる。「東大、本郷、 人類生態学教室」とあるべき会合の場所を「人魚亭」と書くようになっていたのである。ただの秘密めかした一人だけの言葉あそびなのだが、いかにもスコット ランドやニュージーランドにあるパブの名前のようでもあり、洒落ていやしまいか。あるいは競走馬の名前のようでもあり、スリリングなる音感を醸し出す。
 吾らが「マーメイド・タバン」、つまりは大塚柳太郎さんが中心になって練りあげ、人類生態学教室の茶飲み場サロンのあたり(つまりは、その「人魚亭」の あたりで)で企画され、編集され、やがて出版された目ぼしい何冊かの書籍を挙げておく。ちなみに④は、大塚さん御みずからがライフワークと考えたる仕事の うちで、とくに歴史人口学に関係する研究成果を取り上げ、それを世界史の視野のなかで一般読者向けに紹介解説されたものと考える。おおいに関係がありそう な気がするので、小生のごとき自称「大塚さん仲間」の独断と偏見のようなものの力を借りて、いささかゴリ押しを承知で、ここに紹介した次第なり。また①に ついては、大塚さんが人類学の研究者に成られた頃に抱かれた目的意識、研究分野、研究戦略などについて意欲的に記しておられる先見の書として、あえて加え ておきたい。
②と③とが、まさに「マーメイド・タバン(人魚亭)」の絶頂期の頃の出版成果である。この前者『オセアニア①島嶼に生きる』は、『オセアニア②伝統に生き る』および『オセアニア③近代に生きる』とともに全3巻本として刊行された、日本オセアニア学会が創設されたことを寿ぎ、その10年後頃に出された論文集 である。さらに後者は、文部省科学研究費重点領域研究「モンゴロイドの地球」(領域代表者:赤澤 威教授、東京大学博物館)の出版事業で刊行された。その科研費補助事業のオセアニア班の研究成果を解説する総合論文集である。
{注記}
①大塚柳太郎(編集)、『生態人類学』(現代の人類学①)、「現代のエスプリ」別冊、至文堂、1983年12月発行.
②石川 榮吉(監修)、大塚柳太郎・片山一道・印東道子(編)『島嶼に生きる』(「オセアニアOceania」全3巻シリーズの①、ちなみに②は須藤健一・秋道智彌・崎山 理(編)『伝統に生きる』、③は清水昭俊・吉岡政徳(編)『近代に生きる』)、東京大学出版会、1993年4月発行.
③大塚柳太郎(編)『モンゴロイドの地球(2)、南太平洋との出会い』(全5巻の②』)、東京大学出版会、1995年6月発行.
④大塚柳太郎『ヒトはこうして増えてきた:20万年の人口変遷史』、新潮選書、新潮社、2015年7月発行.

<大塚さんに送らん惜別の句>
 大塚さんは、あくまでも平易な文章が好みであり、こむずかしい面妖なレトリックを弄するタイプの人間ではなかった。ペダンティクな物言いを好むタイプで もなかった。難解な語句や表現を口の周りや唇の端に浮かべるような趣味もなかったようだ。人間の言葉や文章は、往々にして、その人の人となりや性格を推量 する手立てとなるが、大塚さんの場合、わかりやすい文章の書き手であり、簡易明快な文章が心地よく響く、一本も二本が筋の通った硬派で好人物の表現者で あったように思う。
 英語論文の書き方などは、天才的に達者でもあった。この点でも1945年前後に産まれた私ども同世代人間には最良の鏡のような存在でした。たとえば、 オーストラリアのキャンベラにあるオーストラリア国立大学(ANU)のオセアニア研究所などにいくと、先史学のJ.ゴルソン先生やS.ウリジェアゼク博 士、R.アテンボロー博士など、大塚さんとの共通の知り合いが少なくなかった。彼らの理解は、大塚さんの英語と私らのそれとの違いは、すなわち、ブリトン 英語とキウィ英語の違いのようだ、ということでした(お恥ずかしい)。
大塚さん、ほんとうに愉快な交遊の日々を有難うございました。どうか心やすらかに、御眠りください。もうじき遠からず、私どももまた、そちらの側に向って 旅立つことになるでしょう。そのときはどうか以前と同様にビールで迎えてください。そのあとは、碁石を並べながら、近況報告とまいりましょうか。
 最後に、大塚柳太郎さんを偲んで、私なりの惜別の詩句(詩句?ただの言葉?)を送りたいと存じます。ただし、これが俳句のようなものであるか否か、さだ かではありません。いかにも、それらしい形ですが、ただの成句か常套句のようなものか。さらには、古人が作った詩文の類なのか。残念ながら定かではありま せん。ビールのときにでも、吟味いただけたら幸甚に存じます。実は、昨年度の小生の手持ち手帖。12月分の日付が並んだページにメモしていた言葉です。つ まり、「大塚さん御逝去」なる小生の文字メモのちかくに、同じく赤鉛筆で残していた「俳句もどき」です。
「フィヨルドの小さな駅のもがりぶえ(虎落笛)」
 どちらも、小生の独特の下手字で書かれているので、小生の記述と考えて、まちがいない。ただ、この「俳句もどき」の考案者もすなわち自分なのか、となる と、話は別問題。小生の俳句の素養がおよそないことは、ことわるまでもない。おそらくは、大塚さんに関する重要な連絡が入り、なにはともあれ急ぎ、メモし たのではなかろうか。もう半年以上も昔のことですから、それ以上の詳細は、いっさい覚えていないのです、残念ながら。どうやら小生ももう、さきほど申しま したように耄碌寸前の身の上、忘れることのみ多しの此の頃です。大塚さんは、まるで逝き急ぐかのように、遠すぎるところへ旅立たれた。卒然と世のしがらみ から遠くのほうに向われた。昨年の師走のはじめの12 月6 日だったらしい。そのときは、「少々、早すぎるんやないですか」、ただただ、そんな思いが
した。その思いは、いまも大して変わらない。ともかく、いまだなお、大塚さんの不在に関する現実感がなさすぎるようだ。そんなような、そうでもないような 思いが、今なお続いている。どうもまだ、もう会える機会が一切なくなったようには思えないのだ。明日にでも、ひょっこり、大塚御大のメイルが届くかもしれ ないのだ。ぽっかりと空になったような私の気持ちの中味。そこから忍びよる喪失感か寂寥感を伴う寂しさと虚しさ。はたまた空洞感か虚無感のごとき気怠さ が、しのびこんできて、どうしてもぬぐい切れない。だから虚しい。もう一度、
「フィヨルドの 小さな駅の もがりぶえ(虎落笛)」
 これは謎の句であり、不思議な語句が混じる。はたして誰かの句か、誰の創作か? たんなる私のメモか、私の創作か? なにか意味があっての書き写しなのか? それ以前に、そもそも俳句なのだろうか、なんなのだろうか? なぜゆえに、この語句、あるいは詩句が手帖の隙間に残されたのだろうか?そもそも、俳句なのかどうかも疑わしいが、誰が何を意図した句なのか?透明感あふれる初冬の澄んだ 景色を読んだのだろうか。語句も際だっており、目を引く。たぶんに私好みの語句でもあり、あるいは、小生が、誰かの俳句をメモし
たのか、ただ自分の思い付きをメモしたのか。そんなところだろうか。それでは誰の句か?あるいは、大塚さんと関係あるのか?
あるいは私自身の句か。あるいは、知る人ぞ知る誰かの出来合いの句か。いずれにしても、私自身の記憶が飛んでいるから、この句からは、深い意味は探れな い。
 もしかしたら大塚さんが、私どもの後追いを願い、道標のように遺してくれたものではあるまいか。小生のメモに託してくれたのではないか。あるいは、この 句の駅とは「海の駅」ではないだろうか。我流の読みを披露すると、ここはニュージーランドの南島の最果てに近いフィヨルドランドの地だ。もう初夏の12 月なのに、まだ寒い厳しい南風の烈風が、南極の方角から吹きつける。
それに合わせて、ひゅーひゅーひゅーひゅー、もがり笛が聞こえる。


日本オセアニア学会第40回研究大会発表要旨


報告①:石村 智
三元ニッチ構築モデルから見たポリネシア人の拡散
報告②:山口 徹
景観の民族考古学――経験されたトンガレヴァ環礁のマラエ(祭祀遺跡)
報告③:後藤 明
ポリネシアの航海術研究の現状
報告④:阪田菜月
地質から民族誌を考える――ラバウルでのフィールドワークから
報告⑤:諏訪淳一郎
バヌアツ・バンクス諸島民ディアスポラ・コミュニティにおける伝統芸能の再生
報告⑥:秦(南)玲子
ニュージーランド・マオリのタトゥー、タ・モコ 復興後の現在
報告⑦:岩﨑加奈絵
ハワイ語の語りにおける aku とmai:――文法形式に語り手の存在は見られるか
報告⑧:鈴木伸隆
フィリピン辺境としてのミンダナオ島入植計画の起源と展開――米国植民地期のフィリピン人テクノクラートの役割に注目して
報告⑨:古川敏明
移動するハワイ先住民――19 世紀末に来日したケアヴェアマヒの事例
報告⑩:山本真鳥
オセアニア植民地時代における非白人移住者(3)――フィジーのインド人年季契約労働者

①三元ニッチ構築モデルから見たポリネシア人の拡散


石村 智 (東京文化財研究所)

2019 年度より開始された科学研究費新学術領域研究「出ユーラシアの統合的人類史学―文明創出メカニズムの解明―」では、人類の南北アメリカ大陸およびオセアニアへの拡散過程お よび文明形成プロセスの解明において「三元ニッチ構築モデル」(入來 2012)の適用を試みている。これは、生物が自ら環境を変化させ、その変化が次の世代以降の進化に影響するという「ニッチ構築」の視点を踏まえ、自然と文化、心と物質を つなぐ人間自体、人間の行為と認知に焦点を絞り、環境―認知―脳の相互作用によって人間に特異的な「ニッチ(生態的地位)」が形成されたとするアプローチ である。
 本発表ではこのうちオセアニアのポリネシア人の拡散の事例を取り上げ、熱帯島嶼環境に適応するため彼らがどのような世界の認知をおこない、文化・文明を 形成したかを概観するとともに、特にニュージーランドへ拡散し、ホームランドと異なる環境に適応したとき、その認知はどのように変化し、どのような文化・ 文明を形成したかについて評価することとしたい。

②景観の民族考古学-経験されたトンガレヴァ環礁のマラエ(祭祀遺跡)-


山口 徹 (慶應義塾大学)

南北貿易風帯には環礁が数多く分布する。サンゴ礁の上の未固結な砂礫が州島を形成する。低平な地形で、植生は限られる。特徴の少ない空間だが、そこに人 間が住み着くことで方角が設定され、微妙な高低差が意識され、ナラティブが付与されてきた。人文主義地理学に準えれば、身体経験を通して構築・更新されて きた景観が環礁にもあったはずである。マラエと呼ばれる東ポリネシアの祭祀遺跡は興味深い研究対象の1つだろう。しかし、考古学は痕跡の物質性を記述でき ても、人間の具体的な経験まで踏み込むことは難しい。「景観」という概念は学際的視点を我々に求めてくる。本発表では、北部クック諸島トンガレヴァ環礁の マラエに民族考古学的にアプローチし、経験された景観として論じる。ソサエティ諸島などの事例と同様に、方形の区画、基壇/配石、そして立石を基本要素と するマラエである。幾何学的な建造物だが、前後左右に対称というわけではない。基壇や立石が区画の一方に偏ることで、外洋方向への指向性をもつ。区画が内 と外を限り、居住址から距離的に隔てられてもいる。これらの不均質性が儀礼の場面で立場によって異なる仕方で経験され、そうした経験の束が社会的に共有さ れることで、マラエは景観として更新されていたと考えてみたい。経験の内容に迫れるのは、キリスト教伝来直前の 18 世紀中頃に 1 年近く滞在した米国商人ラモントの民族誌的記録が利用できるからである。

③ポリネシアの航海術研究の現状


後藤 明 (南山大学)

ポリネシアの島々への移住の移住時期は近年の年代補正によると大きな謎が残っている。西部ポリネシアへ到達した集団(ラピタ)から千年以上も間隔をおい て中央・東部ポリネシ アへと移住された点であるが、この問題には気候変動などの他に、使われたカヌーの性格や 航海術の発達である(後藤 2023「太平洋諸島」『季刊考古学:海洋進出の初原史』)。
ポリネシア航海術は民族事例では詳細が不明で、カロリン諸島のそれを援用して推測されてきた。しかしポリネシアの航海術が質的に異なる点は、(1)移動距 離が数千キロに及ぶ点、(2)南北移動、とくに星座の見え方が異なる南半球への移動(後藤 2021「オセアニアへの人類進出と認知構造」『科学』91(2))。ポリネシアでは風コンパスも用いられていたが、近年は神話の再解釈によってミクロネシアとは異なる星 座の用い方が提唱され、(e.g. Teriierooiterai 2013, Mythes, astronomie découpage du temps et navigation traditionnell.)、また技術の進歩によって緯度経度や時代を設定した天体シミュレーションもPC上で可能である。
 演者は 2022年8月、明石市立天文科学館のプラネタリウムドーム内において、NZマオリがクック諸島からの初期移住に参照したとされる天体について、神話にもとづいてシミュ レーションし、星座の動きを疑似体験することができた。本発表ではポリネシア人の航海術研究の現状を概観し、明石でのシミュレーション結果について報告し たい。
後藤 明(2021)「オセアニアへの人類進出と認知構造」『科学』91(2)
後藤 明(2023)『環太平洋の原初舟:出ユーラアシア人類史への序章』南山大学人類学研究所モノグラフ1
Teriierooiterai, C. (2013) Mythes, astronomie découpage du temps etnavigation traditionnell. Ph.D.
dissertation. Papeʻete, Université de la Polynésie Français.

④地質から民族誌を考える-ラバウルでのフィールドワークから-


阪田 菜月 (早稲田大学)

本発表は発表者が2022年11月~翌年1月にかけてPNG のRabaul 地域で行ったフィールドワーク予備調査の報告並びに今後の研究展望を説明するものである。
 PNGのRabaul 地域では長年にわたって伝統的な貝殻通貨であるtambuと社会経済を主要な関心とする研究が蓄積されてきた。Rabaulに暮らすTolaiの人々はPNGの中でも早期 に西洋と邂逅した集団の一つであり、外部からもたらされた貨幣経済に伝統的な貝殻通貨を接続させたことで資本主義に適応した経済的成功者として知られてい る。
 他方、RabaulはRabaulカルデラを中心とした分厚い火山灰層の上に広がる地域であり、現在でもTavurvurとVulcanの2つの活火山 がある。この二つは1994年に大規模な噴火を同時に起こしている。
 噴火によってRabaulからkokopoへ州都が移転し、現在のRabaul地域社会の勢力関係に火山が影響していることに加え、脆く白色の地層は水 不足の発生しやすい川の少ない地形と、農耕に適した肥沃な土壌をもたらすなど、火山とそれに起因するRabaulの土壌は人々の生活に大きく影響してい る。
 これらに基づき、本発表は近年人類学に限らず多くの学問諸分野において共有されている「自然について考える」という課題に火山や地質という視点を通じた アプローチを行うことを提案する。1990 年代以降活発になった人類学における自然をめぐる議論=存在論的転回を参照しながらどのような記述が人類学に可能なのかを検討し、21世紀に登場した概念である「人新世」 について再考する。

⑤バヌアツ・バンクス諸島民ディアスポラ・コミュニティにおける伝統芸能の再生


諏訪淳一郎 (弘前大学)

バヌアツのエスピリトゥサント島ルーガンヴィル市近郊に、バンクス諸島にルーツを持つディアスポラ・コミュニティがある。その一つであるレウェトン・コ ミュニティは、政府によって住宅地として払い下げられた元ココヤシ農園の中に立地する、50世帯にも満たない集落である。住民は様々な職で生計を立て、近 隣同士でゆるやかな紐帯を保ちながら暮らしている。コミュニティの担い手は、ルーガンヴィルなどで生まれ育った第2世代以降の家族である。また、既婚女性 の多くは結婚を機に他郷からレウェトンに移住している。こうした背景によって、レウェトンの内部ではビスラマとバンクス諸島の固有語のひとつである Mwerlep という二つの言語が用いられている。
 バンクス諸島には「ウォーターミュージック」と呼ばれる伝統芸能が存在する。本来は雨乞いの儀礼で、腰まで水につかった女性が上肢を使って、歌いながら 水を掻きまわすことによって音楽を奏でる。水をかき回すことによって波や飛沫を上げ、また雷を模倣する音を出すことが降雨につながるという信仰がかつては 存在したのである。
 しかし、ポストコロニアルな時代を生きるレウェトンで再生されたウォーターミュージックには、何重もの意味の層を見ることができる。それらの層はコミュ ニティを取り巻きながら存立させる相互作用として観察できる。本発表では、これらの層の重なり合いに注目しながら、現代メラネシア社会に存続する伝統芸能 の場について考察していきたい。

⑥ニュージーランド・マオリのタトゥー、タ・モコ 復興後の現在


秦(南)玲子 (日本文化人類学会)

ニュージーランド・マオリ(以下マオリ)の伝統的タトゥーであるタ・モコは、ヨーロッパ人との接触後、20世紀半ばに断絶、空白の期間を経て、1980 年代以降、彫師主導の復興運動の結果、復興を遂げた。
 発表者は、2009年から2014年頃までニュージーランドで断続的にフィールド調査を行い、復興や実践の担い手、タ・モコと世界的なタトゥーとの緊張 関係や絡まり合いを明らかにしてきた[秦 2012 京都大学大学院提出 修士論文]。タ・モコ復興は、世界的なタトゥーやギャングのタトゥー(「パケハ(白人)」の「Tattoo」)と異なる、「マオリ」の伝統的芸術としてタ・モコを再主張す る過程であった。
 本発表は、2022年12月末~2023年1月初旬、およそ10年ぶりに行った現地調査の報告である。10 年の時を経た変化として、顔にモコを纏う人々や彫師の増加、用語の変化、彫師の活動や経済的な戦略の変化などを紹介する。彫師たちのカウパパ(目的)は、復興の過程にあっ た 10 年前の「パケハのタトゥーとの差異化」「タ・モコ復興」から、「男性の顔のモコ(モコ・カノヒ)の増加」「人々を癒やす」「世界的な先住民タトゥー文化とのつながり強化」 など、多様化している。もう一度「日常」の世界に生き始めたタ・モコの今を紹介する。

⑦ハワイ語の語りにおける aku と mai:-文法形式に語り手の存在は見られるか-


岩﨑 加奈絵 (日本学術振興会/東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

本発表は、ハワイ語の「語り」における方向詞 (directional) の、語り手による使用傾向の差異の有無に関する試論である。方向詞は、主に動作を表す語に後続し、その動作が展開する方向を示す任意の機能語である。ハワイ語では aku (thither)・mai(hither)・aʻe (upward)・iho (downward) の 4 語があり、例えば hele「歩く・動く」と共起し、hele aku「行く」・hele mai
「来る」・hele aʻe「のぼる」・hele iho「くだる」となる。近縁の言語にも同種の要素が見ら れ、ハワイ語と最も近い関係にある言語のひとつであるマルケサス語の narrative では、atu・ mai の使用に、語り手と語りとの距離感が示されると論じられている (Cablitz 2006: 439-444)。本発表はこれに基づき、岩崎 (2018) の方向詞のテキスト別出現数データを活用しつつ新し いデータを加え、Lāʻieikawai、Kawelo、Hiʻiakaikapoliopele の 3編の物語における方向詞 aku・ mai の出現を比較し、aku・mai の比率や総語数に占める割合には、書き手(あるいは物語)による差異が僅かながら見られるものの、Cabilitz (2006) がマルケサス語について示した特徴はハワイ語では見られない、という見方を提示する。
Cablitz, Gabriele H. 2006. Marquesan; A Grammar of Space. Berlin, New York: Mouton de Gruyter.
岩﨑加奈絵 2018『句の中核部を形成するハワイ語の機能語―ʻana と方向詞を中心に―』 東京大学大学院人文社会系研究科(博士論文)
コーパスに使用した文献
Elbert, Samuel H. 1959. Selections from Fornander’s Hawaiian antiquities and folk-lore. Honolulu:
University of Hawaii Press.
Haleʻole, S. N. 1997 [1863]. Ke kaʻao o Lāʻieikawai. Hilo:Hale Kuamoʻo, Ka HakaʻUla o
Keʻeliokōlani.
Hoʻoulumāhiehie. 2006. Ka moʻolelo o Hiʻiakaikapoliopele. Honululu; Awaiaulu Press.

⑧フィリピン辺境としてのミンダナオ島入植計画の起源と展開-米国植民地期のフィリピン人テクノクラートの役割に注目して-


鈴木 伸隆 (筑波大学)

20世紀前半期に始まる国家主導のフィリピン・ミンダナオ島入植計画では、米国に留学したフィリピン人テクノクラートが大きな役割を果たしてきた。米国 で農業の学士号を取得したホセ・サンビクトレスは、その1人である。彼は、1924年に米国カリフォルニア州政府主導のカリフォルニア入植計画を範にとっ た、私案「フィリピンのための入植計画」を構想している。同案はミンダナオ島の経済的停滞を憂慮した米国人植民地官僚から好意的に受け止められたが、フィ リピン人立法府議員は辺境への多額への予算配分を拒むなど、入植計画に消極的だった。1934年になると、米国カリフォルニア入植計画と酷似する入植法が 成立した。しかし、その目的は食料増産のためではなく、ミンダナオ島への日系人移民の存在感が増し、米国による日本脅威論が叫ばれたことから、「日本人入 植阻止」へと転換された。サンビクトレスの構想をもとにしたミンダナオ島入植計画は、1939年の国家入植事業団計画として実現したが、そこでも開拓村予 定地は日系人コミュニティーを包囲するように設計された。こうした一連の方針転換の裏には、日系人による入植を独立後のフィリピンの最大の脅威とみなす米 国の懸念がある。本発表では、フィリピン辺境開発のためにテクノクラートが果たそうとしたトランスナショナルな知の受容という役割に注目することで、それ が米国の介入によって、本来の趣旨から逸脱し、フィリピンの安全保障問題対策へ偽装される過程を明らかにしたい。

⑨移動するハワイ先住民-19 世紀末に来日したケアヴェアマヒの事例-


古川 敏明 (早稲田大学)

ハワイ史において王国・日本間の人の移動は重要なトピックである.しかし,日本からの移民については多く論じられてきた一方,ハワイから移動した先住民 については研究の蓄積が少ない.1881年にカラーカウア王が来日したことは例外的によく知られており(e.g., Greer 1971),その後,1884年に政府高官のカペナが来日し,官約移民の送り出しに向けた準備が進められた.カペナは国費留学生のアイザックとジェイムズ兄弟を連れて来日 し,2人は学習院の初等科などで学んだ(Quigg 1988).本発表が論じるのは,銃剣憲法のクーデターの影響で1887年に帰国した兄弟と入れ替わる形で1888年に来日したデイヴィッド・ケアヴェアマヒという人物で ある.
 当時40歳前後だった彼の来日目的はハンセン病治療という私的なものだった.つまり,国家間の関係強化や留学を目的とせず,ハンセン病患者の隔離政策と いう国家による管理を逃れて海外に渡ったという側面があった.彼は 1893 年に一度帰国するが,数ヶ月後に再び来日し,1900年に亡くなるまでおよそ12年間日本に滞在した.この間,ケアヴェアマヒがハワイ語で綴ったいわば日本観察記が「日本 からの手紙」という見出しで複数のハワイ語新聞に掲載された.本発表では,ケアヴェアマヒの手記と関連資料の分析を通し,彼が自らをどのように位置付けて いたのかという自己認識と経験について論じることで,従来とは異なる19世紀末のハワイ先住民像の事例を提示する.

⑩オセアニア植民地時代における非白人移住者(3)-フィジーのインド人年季契約労働者-


山本 真鳥 (法政大学)

フィジーのプランテーション開発は、サモアと同じ頃1865年頃であり、アメリカ合衆国の南北戦争のために綿花市場が高騰したことによるものである。当 時、フィジー人はプランテーション労働を拒否したので、ソロモン諸島やニューヘブリデス諸島からのブラックバーディングで連れてこられたメラネシア人らを 用いていた。また、フィジー国内の戦争で捕虜とされた人々も人身売買の対象となった。ただ彼等は生涯ではなく、5年間の年限つき奴隷であった。
 その後、フィジーの割譲や、反植民地勢力との戦いを経て、総督アーサー・ゴードンの提案により、当時綿花栽培に取って代わり育ちつつあったサトウキビ・ プランテーションの労働力として、インドから年季契約労働者を導入することとなった。1879年から1916年に制度が終了するまでの間、6万人余りがこ の地に連れてこられた。5年契約の後、帰国は可能であったが、その費用は自分で負担しなければならなかった。2期目の契約後になると政府の費用で帰国する か、残るかの選択となった。帰国事業は制度終了後も続き、最後の帰還船は1951年となったが、その後も、シドニーまで船便でその後飛行便を利用する帰国 の制度が存在した。しかし、残留した人々の数は多く、現在でもインド系住民のコミュニティが存在している。その点が、サモアとは大きく異なっているのであ る。

 

第19期評議員選挙の実施

 

日本オセアニア学会第19回評議員選挙が以下の通り実施され、15名の評議員が選出されました。
公示日:2023年1月16日
投票締切日:2023年2月1日
開票日:2023年2月13日(於:東京文化財研究所)
選挙管理委員:石森大知(委員長)・倉光ミナ子・佐本英規・藤井真一・渡辺文
第19期評議員(50音順)
石村智・梅崎昌裕・小谷真吾・河野正治・倉田誠・倉光ミナ子・小林誠・佐本英規・
田所聖志・丹羽典生・馬場淳・深川宏樹・福井栄二郎・藤井真一・渡辺文

第19回評議員選挙管理委員会

会長、理事及び会計監査・幹事の選出


 2023年3月14日に第19期日本オセアニア学会評議員会が開催され、以下の通り会長、理事及び会計監査・幹事が選出されました。
<会長>
〇栗田博之
<理事>
〇石村 智 庶務
〇小林 誠 会計
〇河野正治 PCO
〇小谷真吾 情報化
〇田所聖志 NL
〇藤井真一 研究集会・関西例会
〇佐本英規 渉外・モノグラフ
<評議員>
梅崎昌裕
倉田 誠
倉光ミナ子
丹羽典生
馬場 淳
深川宏樹
福井栄二郎
渡辺 文
<幹事・監査>
〇中澤 港 会計監査
〇深山直子 会計監査
〇紺屋あかり 関東例会
〇塚原高広 PCO

第19期日本オセアニア学会評議員会

第40回総会の報告

2023年3月15日(水)、第40回日本オセアニア学会総会が対面+オンラインで開催されました(幹事校:同志社女子大学)。議事は、以下の通りで す。
1. 2022年度決算
・ 2022年度決算(2022年3月1日~2023年2月28日)について、小林誠会計担当理事より報告があり、承認されました。
・ 会計監査の桑原牧子会員と馬場淳会員により適正に処理されていることが確認されました。
2. 2022年度事業報告
下記の事業報告があり審議され、承認されました。
・People and Culture in Oceania vol.38の刊行(67 pages.:Article 4本)
・NEWSLETTER no.133、134、135の刊行(論文1本、報告4本、新刊紹介3本)
・研究例会の実施
関東地区 2023年2月11日 対面+オンライン開催 発表2本、コメント2本
関西地区 2023年2月4日 対面+オンライン開催 発表2本、コメント2本
・第40回研究大会・総会の実施
2023年3月15日 対面+オンライン開催(幹事校:同志社女子大学)
・JCASA等の活動
・第22回日本オセアニア学会賞について
報告事項参照
・第19期評議員選挙の実施
会長、理事及び会計監査・幹事の選出
3. 2023年度事業計画
下記の事業計画が審議の結果、承認されました。
・People and Culture in Oceania vol.39の刊行
・NEWSLETTER no.136、137、138の刊行
・関西地区・関東地区研究例会の実施
・第41回研究大会・総会の実施
・JCASA等の活動
・石川榮吉賞の選考
・第23回日本オセアニア学会賞の募集
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4. 2023年度予算案
2023年度予算(2023年3月1日~2024年2月29日)について、小林誠会計担当理事より説明があり、承認されました。
報告事項
1.第22回日本オセアニア学会賞について
受賞者:佐本英規会員(筑波大学)
受賞作品:『森の中のレコーディング・スタジオ―混淆する民族音楽と周縁からのグローバリゼーション―』(昭和堂、2021年)
2.その他
・次回の研究大会・総会について
開催予定地:国立民族学博物館(幹事:小野林太郎会員)
・PCOバックナンバーの電子化(J-STAGEへの登載)について
・後援事業について
(1) 国立民族学博物館企画展「海のくらしアート展―モノからみる東南アジアとオセアニア―」2022年9月8日~12月13日
(2) 日本熱帯生態学会第32回年次大会(JASTE32) ダイバーシティ推進サテライト企画「フィールドワークと月経をめぐる対話―熱帯に暮らす人・動物・フィールドワーカー―」2022年6月19日
(3) 東京外国語大学TUFS Cinema『モアナ 南海の歓喜』上映、2023年1月8日

第22回日本オセアニア学会賞について


受賞者: 佐本英規 会員
対象著作: 『森の中のレコーディング・スタジオ―混淆する民族音楽と周縁からのグローバリゼーション』(昭和堂、2021年)
選考理由
 本書は、20世紀末の音楽におけるグローバル化の進展するなか、ソロモン諸島マライタ島アレアレの竹製パンパイプ演奏集団に焦点を当て、ローカルな演奏 実践とグローバルな音楽産業との接続を見据えた意義深い民族誌である。同時に西欧の音楽産業による異質な他者(メラネシアの竹製パンパイプ演奏)を取り込 む力学に対応した、現地アレアレ側の実践や反応を描いた研究として高く評価することができる。
 現在でもアレアレの人々は、竹製パンパイプの演奏は演奏者たちに財を与えるように仕向ける呪力をもつものと理解しており、クランに関わる竹製パンパイプ 制作や演奏は、西洋的な音楽概念とは相いれないものだった。そこでは断絶こそしていないものの、呪力の強い「土地の竹製パンパイプ」と「今日の竹製パンパ イプ」の区分が人々によって認識されてきた。
 佐本氏は「土地の竹製パンパイプ」が祖先の演奏を模倣した短いフレーズが、祭礼で、交換財を目指して繰り返され、これが村作業の掛け声等と共鳴すると様 態を分析する。そしてこの演奏はチューナや音階によって再演が容易な綺麗な演奏と解釈され、興行、レコーディング、ワールドツアーで演奏され、「表象とし ての音楽」となる。しかし一方、祖先の演奏とも解釈され、関係者への食事の要求、関係者の不幸への配慮が問題とされる。
 竹製パンパイプ演奏集団のポイアラトの村を中心とした演奏が興行、CD化、ワールドツアー等を通じてワールドミュージックと位置付けられる過程は「文化 的出会い」と「音楽的媒介」とすることも可能である。とくにチューナなど西洋音楽の技術により、経験的奏法が機械合理的になって行く中で、演奏に在地の意 味が取り込まれて行くことで演奏の新たな価値ができていく過程、また一方で商業化されていく過程の分析がなされている。
 本書は著者が現地の人々に密着し、楽器制作の現場や現地での録音に立ち合い、自ら演奏し、さらに通訳として日本のロックフェスティバルにまで参加した実 践過程の記述がなされている。このようにグローバルな音楽産業の進出に対して、アレアレの演奏者側の視点から捉えた一次資料は、オセアニア音楽学において 貴重なものと評価することができる。ソロモン諸島ないしオセアニアの「現地音楽」が新しいテクノロジーや外の目線を意識してどのように混淆しているのか を、日本との関係にも意識しながら分析している点も評価される。
 以上により、この作品を学会賞に推薦することで委員全員が一致した。

 
■第22回(2022年度)日本オセアニア学会賞選考委員会
後藤明(委員長)、風間計博、柄木田康之、小西潤子、山内太郎

第23回日本オセアニア学会賞選考要項

2023年度日本オセアニア学会賞選考委員会
1. 本学会賞受賞資格者は本学会会員で、対象となる著書または論文の刊行時に原則として40歳未満とする。対象となる著書または論文は1編とし、2022年1月1日から 2023年12月31日までに刊行されたものとする。なお、該当する著書または論文が複数の著者によるものの場合は、筆頭著者のものに限定する。
2. 候補者の応募は自薦あるいは本学会員からの他薦による。他薦による場合は、他薦者は被推薦者(候補者)の了解を得ていることが望ましい。
3. 自薦の場合は、選考対象となる著書または論文について、1部以上を日本オセアニア学会事務局宛に送付するものとする。送付に際し、連絡先(住所、E-mailアドレス)を 明記するものとする。
4. 他薦の場合は、推薦者の氏名と被推薦者(候補者)の氏名、被推薦者の連絡先(住所、E-mailアドレス)、および被推薦者の選考対象となる著書または論文名を明記する。 雑誌論文の場合は、雑誌名、巻号、出版年を、著書の場合は著書名(分担執筆の場合は、担当章のタイトルと著書のタイトル、編者名)、出版社、出版年を明記 する。この場合も、著書または論文を日本オセアニア学会事務局に送付することが望ましいが、送付されていない場合でも受理する。なお、推薦理由が必要であ ると判断する場合は、200字以内の推薦文を添付してもよい。
5. 応募期間は 2023年11月1日から2024年1月15日まで(必着)とする。
6. 送付先は下記とする。自薦の場合は、著書または論文を同封する必要があるので、郵便ないしは宅配便で送付することし、他薦の場合は郵便以外に E-mail でも受け付けることとする。
(日本オセアニア学会事務局)
〒110-8713 東京都台東区上野公園13-43
東京文化財研究所 無形文化遺産部 音声映像記録研究室(石村行)
TEL 03-5809-0428 FAX 03-3823-4854
E-mail:secretary[アットマーク]jsos.net
7. 事務局は自薦および他薦の書類を受領してから1週間以内に、受領した旨の連絡をし、受領書類を選考委員長へ郵送する。
8. 2024年1月16日以降、選考委員会は厳格な審査を行い、その結果を本年度の本学会総会の開催前に理事会に報告する。
<注 記>
1. 応募者はPCOに論文を掲載したことがあるか、掲載したことがない場合は、受賞後数年内に PCO へ投稿することが望まれます。
2. 選考を円滑に進めるため、すでに刊行されている書籍または論文については、募集期間が始まり次第、速やかに、応募して下さるようお願いします。
3. オセアニア地域に関わるあらゆる研究分野の作品が対象となっています。
日本オセアニア学会賞規定
第1条(目的)
日本オセアニア学会はオセアニア地域における人間、文化、社会、環境などの研究の振興を目的とし、「日本オセアニア学会賞」を制定する。
第2条(資格)
日本オセアニア学会員であること。
第3条(対象)
オセアニア地域研究に関し、前年度及び前々年度において最も優秀な著書又は論文を公にした個人。但し、刊行時において原則として満40歳未満の者とする。
2 賞の授与は各年度1名とする。
第4条(選出方法)
賞の選考は理事会が委嘱した5名の日本オセアニア学会賞選考委員が行う。
2 以上の選考結果に基づき理事会が受賞者を決定する。
第5条(賞の授与)
賞の授与は日本オセアニア学会総会で行う。
第6条(賞状等)
受賞者には賞状等を授与する。
附則
この規定は平成13年4月1日より施行する。
附則
本規定の改定は令和2年7月31日より施行する。

【新刊紹介】

山本 真鳥(著)
『オセアニアの今――伝統文化とグローバル化』
(明石書店、2023年8月刊行、2,800円+税)
 某出版社からお誘いを受け、2019年4月から2021年4月まで、18回にわたって月1回の割合でウェブマガジンに記事を書いた。もちろん休んだ月も あるので、25回とはならなかった。現代のオセアニアを少しでも知る手がかりとなるテーマを選んで記事とした。学術論文ではないが、学術論文、学識を背景 としたエッセイを書いたつもりである。論文では書けない映画評もあり、オセアニアの現在のトピックに触れたものもある。以下が目次である。
序章 オークランド芸術祭の現代劇
第1章 脱植民地化と文化の創造
第2章 ラグビー!ラグビー
第3章 文化としてのタトゥー
第4章 サモアのお金、ファイン・マットの謎
第5章 オセアニアのお金の話
第6章 航海術の復興
第7章 日本に建ったサモアの家
第8章 2本の『モアナ』映画
第9章 『ファミリーツリー』とハワイの土地
第10章 太平洋諸島と疫病
第11章 オセアニアの環境、沈む島とゴミ問題
第12章 クーデターと民族紛争
第13章 オセアニア・アート
第14章 オセアニアの現代アート
第15章 オセアニアの観光開発
第16章 遺骨等の返還、文化財の返還
 もともと筆者はサモアの儀礼交換の研究をもっぱらに行っており、その意味で、第4章、第5章は山本の研究の一環を改題したものである。また最近の研究と しては、太平洋芸術祭(第1章)があり、オセアニア・アートも最近終了した研究テーマである。第13章、第14章がそれにあたる。第15章も、科研費研究 こそないが、サモアに関しては調査に行く都度データを集め、既に論文も書いている。映画は好きなので、『モアナ』2本も『ファミリーツリー』も既に見てい た。ラグビーは結構好き――いわずと知れたオールブラックス・ファンである――で、2011 年の大会から、ネットで視聴していた。ラグビーユニオンのワールドカップは、ダイジェスト版もフルゲーム版もオンラインで視聴できることを読者はご存知だろうか。その他、 全く知らなければテーマを選べないので、ある程度は知っていたが、毎月相当調べる時間をとって、文献やオンライン調査を行った。その意味では大変充実した 2 年間であったし、何より私自身が楽しむことができた。
 『オセアニアの今』で描いたのはオセアニアの現在の姿であるが、そこに大きな影響を及ぼしたのは植民地化と、近年のグローバリゼーションである。植民地 化により、欧米人の入植者が入ってきて主人となった。19 世紀にはプランテーション開発のためにハワイ、フィジー、サモアにアジア人移民労働者を入れた(もっとも、ソロモン諸島やヴァヌアツからフィジー、サモア、オーストラリ ア・クイーンズランドに労働者を連れて行くという流れもあった)。一方第二次世界大戦後に生じたのは、太平洋諸島から環太平洋都市への移民である。移民と ホームランドの交流は多くの変化をもたらしたが、主として1970 年代に始まる極小島嶼国の独立とグローバル化もまた多くの変化をもたらしている。しかし、彼らの伝統文化が消えたわけではなく、グローバル化の中で新たな発展の道をたどっ ている。その複雑な入れ子状態をエッセイの形式で描くのが本書の企てである。「今」を描いたが、その背景となる歴史にも目を光らせた。
 ウェブマガジンを書くということは初めての体験であったが、新しい出版のフォーマットとして大変好ましいものであった。写真はカラーで好きなだけ使える し、YouTube などにリンクを貼れば、簡単に動画にもつなぐことができる。一方、著作権のある写真の扱いはなかなか難しいが、それも、Wikimedia などを参考に利用可能なものがあることもわかった。新しいメディアに目を見晴る経験をして、この仕事は忙しかったが、おおいに楽しんだといえる。
 しかし、オセアニア関係者からは好評であったが、なかなかオセアニアの専門家でない人には届かず、やはり書籍化を試みたいと考えるようになった。幸い明 石書店が興味をもってくださったので、ここから出版することとした。第1回を序章とし、1回分を割愛して、章の順番を入れ替えて、書籍版の構成とした。紙 媒体となると、カラー写真は原則使えないし、動画は無理である。カラー写真は
表紙に何枚か使ったものの、本文中に入れることは難しかった。しかし、歴史写真やパブリックドメインのものなどを利用して、著者撮影のものの他に珍しいも のも白黒ながら掲載してある。また、動画はQR コードを掲載することで、スマホ、タブレットなどで簡単に閲覧することを可能とし、紙媒体ながら、できることを行った。
是非、読者には新しい形の紙媒体書籍の体験をしていただきたいと思う。
(山本 真鳥)

学会通信


2023年度の研究大会・総会及び地区例会の告知
日本オセアニア学会会長 栗田 博之
2023年度の研究大会・総会につきましては、小野林太郎会員(国立民族学博物館)のもと準備を進めております。開催場所や開催方法などの詳細につきまし ては追ってホームページ、メーリングリスト等でお知らせします。また地区例会につきましても、各地区担当の理事や幹事のもと準備を進めておりますので、詳 細については決まり次第、ホームページ、メーリングリスト等でご連絡いたします。


ニューズレターNo.135から

2022年度日本オセアニア学会関東地区研究例会の報告

関東地区研究例会幹事 河野正治

2022年度の関東地区研究例会を以下の通り実施した。
【開催日時】2023年2月11日(土)14時00分~17時30分
【開催方法】東京都立大学南大沢キャンパス1号館107室(ハイフレックス開催)
【プログラム】
14:00~14:05 開会
14:05~14:55 片岡真輝(東京外国語大学)「フィジーにおけるパシフィック・アイデンティティに関する一考察」
14:55~15:10 コメンテーター: 黒崎岳大(東海大学)
15:10~15:40 全体での討論
15:55~16:45 四條真也(関東学院大学)「男性フラにおける身体性の現在」
16:45~17:00 コメンテーター: 三崎舞(非会員・オックスフォード大学)
17:00~17:30 全体での討論
17:30 閉会

本年度の関東地区研究例会では、2022年度に関東の大学にご異動された片岡真輝さんと四條真也さんをお迎えし、最近のご研究についてご発表をしていた だいた。
 片岡さんは、ディアスポラ論と集合的記憶論の知見をもとにインド系フィジー人と先住系フィジー人の関係について考察を行い、フィジーの民族間関係が政治 環境の変化を通じて再編されるなかで「フィジー人」や「パシフィカ」の枠が拡張されつつあることを論じた。コメンテーターの黒崎岳大さんは、戦略的な位置 取りとしての「パシフィカ」を超えたインド系フィジー人のアイデンティティを提示することでさらなる研究の進展が見込まれるという指摘をはじめ、インド系 フィジー人の今日的な在り方にかかわる複数の論点を提示した。
 四條さんは、先住ハワイ文化の復興運動としての「ハワイアン・ルネサンス」をジェンダーという観点から取り上げ、フラにおける男性性の復権が重要な課題 であると指摘すると同時に、強靭な肉体の構築を志向する男性フラ演者の身体性の現在について論じた。コメンテーターの三崎舞さんは、現代のフラにおける男 性性の強調には抑圧のシンボルを抵抗のシンボルとして逆利用する側面があるという解釈の可能性をはじめ、現代ハワイにおける先住民と文化復興にかかわる複 数の論点を提示した。
 初めてのハイフレックス型開催となったが、合計21名(対面9名・オンライン12名)の参加のもとで活発な質疑応答が行われ、本研究例会は盛況のうちに 終わった。

2022年度日本オセアニア学会関西地区研究例会の報告

関西地区研究例会幹事 平野智佳子

2022年度の関西地区研究例会を以下の通り実施した。
【開催日時】2023年2月4日(土)13時30分~17時20分
【開催方法】国立民族学博物館 第2セミナー室(Zoomを用いたハイフレックス開催)
【プログラム】
13:30~13:35 開会
13:35~14:35 発表者:奥田梨絵(神戸大学 国際協力研究科)
「ミクロネシア連邦の現代首長制社会における学校教育の役割:ポーンペイ島の予備的考察」
14:35~14:50 コメンテーター: 河野正治(東京都立大学 人文科学研究科)
14:50~15:20 全体での討論
15:35~16:35 発表者:三原一郎(神戸大学 保健学研究科)
「ムスリム墓地受け入れから見た、コミュニティの他文化・宗教受容」
16:35~16:50 コメンテーター: 鈴木伸隆(筑波大学 人文社会系)
16:50~17:20 全体での討論
17:20 閉会

本年度の関西地区研究例会では、それぞれの研究テーマに関して本調査を控えている会員2名を発表者として招待し、研究背景や問題意識、今後の展開を発表 していただいた。
 奥田梨絵会員は、ポーンペイ島における首長制と学校教育の概要を説明し、研究課題を示した上で、修士論文で扱ったマーシャル諸島の事例を参照しながら、 ポーンペイ島の学校教育の位置づけに関する予備的考察を行った。コメンテーターの河野正治会員は、ポーンペイ島のみでは完結しない学校教育の地域的広がり を視野に入れる可能性について触れるとともに、先行研究と分析モデルのずれを指摘し、議論の再整理と今後のアンケート調査の見直しを提案した。
 三原一郎会員は、別府と神戸のムスリム墓地の事例をあげ、在日ムスリムと日本人コミュニティとの間に発生する対立をどう乗り越えるかについて、他文化・ 宗教の受容に着目しながら考察を行った。コメンテーターの鈴木伸隆会員は、ムスリム墓地に関連する課題は、異郷である日本に暮らすムスリムを考える上で現 代的意義があると指摘した。その上で「在日ムスリム」というカテゴリー設定の問題点や、ムスリムの土葬を「教義」のみに還元することのリスクを指摘した。
 関西地区研究例会の参加者は合計18 名であった。討論の際には、フロアから多くの質問、コメントがあり、発表者との間で活発な議論が交わされた。いずれの研究発表でも、発表者の本調査に向けての有意義な助言 やコメントがあり、本研究例会は盛況のうちに閉会した。

新刊紹介

石森大知・黒崎岳大(編)『シリーズ地域研究のすすめ ようこそオセアニア世界へ』 (昭和堂、2023年2月28日)

本書は、昭和堂「シリーズ地域研究のすすめ」として刊行されたオセアニア地域研究の入門書・教科書である。オセアニアは日本の一般的な読者にとってマイ ナーな地域というべきであろう。とはいえ、オセアニアの大部分を占める太平洋に目を向ければ、そこは地球表面積の約3分の1を占める広大なエリアであり、 またその島々は日本人にとってマイナーといっても日本から地理的に遠く離れているわけでもなく、ともに太平洋に面する「島国」という点で共通する近しい隣 人と考えられるだろう。このような、いわば本学会会員にとっては自明ともいえる「はじめに」から本書は書き起こされる。
 本書は3つの部、序章を含む17の章および17のコラムから構成される。第Ⅰ部「自然と地理」は、先史時代の内容を含むとともに、オセアニアの多くの地 域に通底する基層的な自然や地理、そして言語などのテーマを扱うものである。この部の各章を紹介すれば、第1章「考古」、第2章「地理」、第3章「島 嶼」、第4章「海洋」、第5章「言語」となる。第Ⅱ部「歴史と社会」では、オセアニア世界が西洋人と接触して以降の歴史と社会・文化的な変容を主に扱い、 植民地化から国家独立を経て、近代的諸制度を整えていく様相が描かれる。各章は第6章「歴史⑴」と第7章「歴史⑵」、第8章「文化」、第9章「産業」、第 10章「教育」、第11章「法律」からなる。最後の第Ⅲ部は「現代的課題」とし、国際協力や地域間協力を始め、主に21世紀におけるグローバルイシューへ の取り組みについて扱う。各章は第12章「気候変動」、第13章「開発援助」、第14章「観光と文化」、第15章は「地域協力」、第16章は「オセアニア と日本」である。なお、各章に付されたコラムでは、内容理解の一助となるよう、主に当該章に関連する事例やエピソードなどが紹介される。
 本書全体を緩やかに貫くキーワードは、「同時代性」と「海洋性」である。ここでは紙幅の都合上、前者にのみ言及したい。同時代性に関する学問的な議論そ のものは30年以上も前からなされており、時代錯誤も甚だしいという意見もあるだろう。にもかかわらず、あらためて本書で同時代性を強調する理由は、それ だけ日本人にとってオセアニアが同時代世界の一員とみなされてこなかったという筆者自身の現状認識による。オセアニアを辺境とみなしてきたのは我々であ り、そのようなイメージの創造は実際のオセアニアとは無関係に生じている。であるとすれば、我々の側にこそ自己変革が求められるのであり、それを意識する ためにも同時代性というキーワードは有効と考えるからである。そして、この点は日本オセアニア学会においても重要なテーマとして扱われてきた。
 本書の内容からやや逸れるが、本学会創立50周年が近づいている。こうした節目の年を記念するこれまでの刊行物やシンポジウムなどで、「辺境としてのオ セアニア観をいかに払拭するか」という点は度々検討されてきた。石川が創立15 周年記念論集の巻頭で「日本が・・・ヨーロッパの辺境に位置付けられたオセアニアを、ヨーロッパ中心史観に引きずられて、日本にとってもまた辺境であると錯覚してきたのも 不思議ではない」(石川 1993:iii-iv)と述べたのは1993年である。その後、吉岡は創立30周年記念の『オセアニア学』で辺境としてのオセアニア観の継続を確認し(吉岡 2009:ⅱ)、さらに創立40周年を記念するシンポジウムを経て刊行された論文でも「そうしたオセアニア観は大きな変化を見せていない」と述べ、「文化 相対主義の進化主義に対する敗北」との診断を下している(吉岡 2021:2)。同論文ではさらに踏み込んだ議論がなされ、オセアニアを「楽園」「秘境」扱いするのは論外であるが、加えて「「現在的問題=近代社会の日常生活と接点を持 つ問題」をテーマとして取り上げること」も、人口に膾炙する進化主義的なものの見方の前では結局のところ意味をなさないとされるのである(そして吉岡はオ セアニアの「名もなき人々」ではなく、「エリート」に焦点を当てることを提唱している(吉岡 2021:17-18))。
 ただ、吉岡の見立てはやや悲観的ではないだろうか。近年、本書を含めオセアニアを包括的に扱う入門書・教科書の刊行がそれなりに続いている(石森・丹羽 2019;梅﨑・風間 2020;棚橋他 近刊予定)。これは日本におけるオセアニアに対する知的な興味関心の高まりを示している、と言いたいわけではない。むしろ出版社が企画する地域研究的なシリーズの1つにオ セアニアも加わったというニュアンスが強いかもしれない。しかし、そのような形でオセアニアに関する情報、それもとくに専門家がフィールドワーク調査で収 集した生きた情報が広く一般読者に届く環境が整ってきたのもまた事実である。たしかに依然として辺境のオセアニア観が一般的に流通しているといえるが、そ れ以前にオセアニア島嶼部は一部を除いてほとんど知られていないのが実情だとすれば、出版社や関係機関の力添えも得つつ、一般読者に対して地道に発信し続 けることに意義はあるだろう。また、多くの研究者がそのような自覚を持って取り組むようになったことも大きい。本書がそうした取り組みの1つとして少しで も貢献できれば望外の喜びである。(石森大知)

<参照文献>
石川栄吉
1993 「日本のオセアニア学」大塚柳太郎・片山一道・印東道子編『オセアニア1 島嶼に生きる』東京大学出版会、iii-xi 頁。
石森大知・丹羽典生(編)
2019 『太平洋諸島の歴史を知るための60章――日本とのかかわり』明石書店。
梅﨑昌裕・風間計博(編)
2020 『オセアニアで学ぶ人類学』昭和堂。
棚橋訓他(編)
近刊予定 『オセアニア文化事典』丸善出版。
吉岡政德
2009 「序」遠藤央・印東道子・梅﨑昌裕・中澤港・窪田幸子・風間計博編『オセアニア学』京都大学学術出版会、i-viii頁。
2021 「「辺境としてのオセアニア」を抜け出すことはできるか――文化人類学とオセアニア研究」『近代』123:1-29。

新刊紹介

熊谷圭知『つながりの地理学――マイノリティと周縁からの地誌』(古今書院、2022年10月)

 この本で何をめざしたか
 この本は、私にとって2冊目の単著になります。前書『パプアニューギニアの「場所」の物語――動態地誌とフィールドワーク』は、2つの学会賞(2020 年度人文地理学会賞、日本地理学会賞)を頂きましたが、分厚くて高価だったので、気軽に読んでもらえないのが悩みでした。それで今回の本は、たくさんの人 に手に取ってもらえる、読みやすい本をめざしました。
 『つながりの地理学』というタイトルには、いくつかの意味を込めています。
 第1に、空間的・社会的に遠く離れた場所や人々とつながることです。この本が取り上げる、オセアニアの先住民(ハワイ、アボリジニ、マオリの人々)、パ プアニューギニア都市の掘立小屋集落、高地周縁部の村、水俣病と東日本大震災で苦難を被った地域、こうした人々や場所の存在を頭で理解するだけではなく、 つながりたいという感情を掻き立てるような本を書きたいと思いました。
第2に、遠い他者を理解することを通じて、「日本人」というマジョリティ性を疑うことです。ネット言説などでは、日本人性が唯一の拠り所となり、それ以外 の存在を排除する傾向が生まれています。マイノリティや周縁の立場から考え、想像することは、閉塞する日本社会をマジョリティにとっても生きやすいものに するはずです。
 第3に、時代を越えたつながりをめざすことです。現代の学生たちは、生まれた時から新自由主義的な論理が浸透し、個人主義と自己責任が身に付いてしまっ ているように感じます。それに対しこの書では、私たちの世代が希求してきたような共同性と協働の可能性を提示して、対話したいと考えました。

この本で工夫したこと
 読みやすい本を作るために工夫したのは、次のような点です。まず文体は「です・ます調」にしました。本文の流れを大切にするため、途中に引用文献の表記 は差し挟まず、本文中で説明できなかった事柄は、逆にたっぷり注で説明し、参考文献もたくさん紹介しました。それにより、本文だけなら高校生でも読め、注 を含めれば卒論や修論のテーマを探す学部生や大学院生まで使える本になったと自負しています。
 読者の興味を誘うような長めのコラムも差し挟みました。「パプアニューギニアの言語とトクピシン」(第9章)では、「パプアニューギニアになぜこれほど 言語が多いのか」という問いが、「日本ではなぜ一つの言語で間に合うのか(本当に一つなのか)」という問いに反転すること。はじめてパプアニューギニア大 学の市民講座でピジン語を習った時、私以外の白人の英語ネイティヴ話者の発音がニューギニア人教師から厳しく直され、私がジャパニーズイングリッシュ風に 発音するとexcellent!と言われて、英語コンプレックスが逆転した体験など…。「秘境観光のまなざしと村人」(第11章)は、私がフィールドワー クを続けているセピック川南部支流域のクラインビット村に、「カンニバルツアーズ」に登場するような秘境観光の観光客が訪ねてきた時の話です。映画同様、 自分が作った木彫を値切られる体験への不快感も表明される一方で、「どんな観光ならよいのか」と尋ねると「もっと長くいてほしい」という答えが返ってき て、自分たちの文化の良い部分を積極的に見せたいという思いを感じました。

本書の構成
 第1章「グローバル化時代の地理的想像力」は、グローバル化とIT 技術の革新の中、私たちが個人に分断され、他者への共感力を失っているという懸念から始めます。テロリズムを例に、パレスチナを訪ねた私の経験から、私たちが不可視化して しまっている不正義や不公正が、その背景にあるのではないかと問いかけました。
 第2章「人文地理学と場所論の系譜」では、人文地理学の歴史から、地政学、場所論へと展開します。グローバル化の中で「場所」が重要性を増している背景 に、「場所」が有する3つの側面――1)安心・安定性を与える、2)資本や権力によって構築される、3)抵抗の拠点となる――が関わっていることを指摘し ました。
 第3章「開発とは何か」では、「開発」概念、グロ―バル化の中でなぜ格差が増大するのか、オルタナティヴな開発論(ポスト開発論、脱成長論、参加型開 発)を紹介しました。最後に「ジェンダーと開発」と男性の議論を取り上げ、新自由主義的な資本主義によって減価される労働という共通性からの連帯の可能性 を模索しています。
 第4章「オセアニアという地域」では、オセアニア島嶼国のスタンダードでは立派な「大国」である沖縄との比較も含め、「地域」という概念の構築性と流動 性を論じました。オリエンタリズムによる表象の支配から逆オリエンタリズムによる自己主張へと転じる太平洋島嶼の人々の主体性(山本1997)は次章の テーマにつながります。
 第5章「楽園ではないハワイ」では、ハワイの歴史と文化復興運動の現在を紹介しました。先住民運動家トラスク(2002)の主張を素材に、先住民運動 (あるいは太平洋流のナショナリズム)が持つ本質主義のもつ「力」と問題点、また混淆のもつ理念が多数派による現状維持に結びついてしまう問題を、対比し ながら考えています。
 第6章「アボリジニからみたオーストラリア」では、アボリジニの人々の歴史と文化、それに対する多数派社会の対応を、多文化主義の議論を交えて紹介しま した。ここでも真正性(「本物」のアボリジニ)と混淆の現実の間の葛藤が、コスモポリタン・マルチカルチュラリズム(塩原2010)の可能性と併せ、課題 になります。
 第7章「マオリからみたニュージーランド」では、「二文化主義」に至るマオリの歴史から、現在のマオリ語のイマージョン教育と「マオリ学」にマオリ以外 の研究者が入り込めない現実をどう評価するかを、最後の問いとしました。オークランドでの束の間のシングルファザー暮らしから得た私自身の学びも加えてい ます。
 第8章「ミクロネシア、パラオの過去と現在」では、委任統治領南洋群島の歴史を紹介し、日本統治時代を生きた高齢女性へのインタビューから、「日本を愛 した植民地」(荒井2015)という表象を批判的に検討しました。それまでの章が欧米の植民地化とその後遺症がテーマだったのに対し、ここでは日本の植民 地化が問われます。
 第9章「パプアニューギニアという国と社会」では、超多言語・多文化社会であり、国家としての独立運動よりも分離独立運動が先行したパプアニューギニア の特質を語りました。後半では、高地周縁部のミアンミンの人々の「開発」への渇望と、その背景を紹介しました。それは「植民地化」の本質にもつながりま す。
 第10 章「ポートモレスビーのセトルメントとチンブー人移住者」は、私が初めてパプアニューギニアでフィールドワークした、ピジン語で「セトルメント」と呼ばれる都市の移住者集 落とそこで暮らす人々がテーマです。パプアニューギニアの男性優位の政治と選挙、都市になぜ犯罪が多いのかを考えるコラムも加えました。
 第11 章「ブラックウォーターの人々と『場所』の知」は、生業や社会集団の編成を含め、周囲の環境や動植物と深く結びついた「場所の知」を構築しているクラインビット村の人々 が、一方で外部との出会い(植民地政府・戦争中の日本兵・秘境観光客)を体験しており、都市との格差に葛藤を抱えていることを論じています。
 第12 章「かかわりとしてのフィールドワーク」では、クラインビット村長の追及「お前はこの村に何ができるんだ」に端を発した、私の試行錯誤の実践を描きました。前半はJICA 専門家としてのポートモレスビーのセトルメントでの活動、後半はクラインビット村での実践です。前者では研究者と実践者の領域を統合することの意義、後者 では、外部者の眼差しが、「場所の知」存続の鍵となることを主張しています。
 第13 章では「『風土』から考える」と題し、和辻哲郎の『風土』と、フランスの文化地理学者オギュスタン・ベルクの『風土の日本』を取り上げました。ベルクの問い「自然に鋭敏な はずの日本文化・社会がなぜ公害問題にみられるような環境破壊を許してしまったか」の考察は、次章のテーマにつながります。
 第14 章は「水俣病と風土」です。水俣病は3つのスケール――不知火海と漁民というローカルレベル、階層構造と対立を含む地域社会レベル、そして高度経済成長期の日本というナ ショナルなレベル――で、「風土」と深いかかわりを持ちます。石牟礼道子や杉本栄子さんの語りには、水俣のローカルな「風土」が体現されています。
 第15 章では、岩手県の陸前高田市に焦点を当て、「被災地の復興と場所・風土の再構築」を論じました。お茶大フィールドワーク実習が学生たちにインパクトを与えたのは、被災地と 「被災者」たちが作る「場所」の力でした。日常の場所を再構築する実践に協働することが「風土」の再構築につながるというのが私たちの希望です。

「オセアニア/地域/研究」、「場所」と「地誌」
 「オセアニア地域研究」を専門と名乗ってきた私にとって、オセアニア全体について書くことは宿願でしたが、大変な仕事でした。片山一道氏とともに編集 し、オセアニア学会の多くのメンバーに加わって頂いた『オセアニア』(2010年)が、それを支える力となりました。ぜひ忌憚のないご批判を頂ければと 願っています。
 最後に述べたいのは、「オセアニア/地域/研究」を問い直すという課題です。
 「地域」という言葉は、とりわけ地理学者にとっては常套句ですが、明確に定義されていません。私は「場所」を、空間的な近さを契機とする人と人、人と事 物、事物と事物の関係性の束、およびそれが実体化した空間と定義しています。「地域」は、この場所的関係性を基盤としますが、「場所」がミクロな関係性 で、常に生成し、固定的な領域性を持たないのに対し、「地域」は、制度(行政であれ文化であれ)が介在し、マクロな関係性で、領域性や境界を持つのが特徴 です。
 乾燥したオーストラリア大陸と湿潤熱帯の太平洋島嶼という二つの異なる風土が、「オセアニア」という一つの地域として括られるのは、西欧との関係性の結 果です。世界の果てを取り巻く海の世界オケアノス、未知の南方大陸の発見が、西欧世界の探検の動機づけとなり、現代オセアニアは西欧の植民地も軍事基地も ある地政学的な空間です。つまり「地域」とは、独自の特徴を持った固定的な空間ではなく、常に関係性の産物であり、流動的な存在にほかなりません(モーリ ス-スズキ2009)。
 「研究」とは何(であるべき)でしょう。学問研究には、研究対象を分類して分析し、概念の枠に押し込めて理解することで、対象を私たちと分断する傾向が あります。この書では、研究と実践、研究の主体と客体、フィールドワーカーとフィールドの境界を意識的に流動化し、相互浸透させています。それは、パプア ニューギニアというフィールドが、私に対象を「他者化」させてくれなかった結果なのだと思います。
 これは「場所」という観念にかかわります。私はフィールドワークを、研究対象が存在する場所に身を置いて、一次資料を集める調査方法と定義しています。 フィールドワーカーが関係性としての「場所」を共有することを通じて得るものは2つあります。1つは、観念にとどまらない、多様で流動的な生身の存在への 共感をともなう理解です。もう1つは、フィールドに何かを「還す」機会です。その応答のあり様は、調査研究者によって異なるでしょう。12章は私なりの到 達点ですが、こうした実践と葛藤の在り様がもっと学会の中でも共有されればよいと思っています。
 最後にこの本の副題である「地誌」について。「地誌」とは地域や場所の物語です。それはもともと山や海の向こうに何があるかを知りたいという、人間に共 通の知的好奇心の産物でした。「地誌」の読者が、その物語を自分とは異なる遠い世界の出来事で、自らとは無縁のものとして消費し、その存在を「他者化」し て終わってしまうか、それとも自らと共有するものを持つ存在としてつながりたいと思うかは、大きな分かれ目でしょう。この本がめざしたのは、そうした「つ ながり」の動機づけとなるような地誌であり、さらにはその読者が自ら「地誌する」契機となるような書でした。
 それは、研究者(専門家)と市民・学生の間の境界を積極的に取り払いたいという願望でもあります。トラスクのキージング(Keesing 1989)への苛立ち(Trask 1991)は、専門家のもつ知の権力への批判が大きく関わっています。そしてこれは、かつて
大学闘争が提起した(私は当事者ではありませんでしたが)学問研究は何のためにあるのかという問いへの、私なりの応答でもあったと思います。

<参照文献>
荒井利子
2015 『日本を愛した植民地――南洋パラオの真実』新潮社.
ベルク、オギュスタン
1988 『風土の日本――自然と文化の通態』篠田勝英訳、筑摩書房.
熊谷圭知
2019 『パプアニューギニアの「場所」の物語――動態地誌とフィールドワーク』九州大学出版会.
熊谷圭知・片山一道(編)
2010 『朝倉世界地理講座 15 オセアニア』朝倉書店.
モーリス-スズキ、テッサ
2009 「液状化する地域研究――移動のなかの北東アジア」『多言語多文化:実践と研究』l.2:4-25.
塩原良和
2010 『変革する多文化主義へ――オーストラリアからの展望』法政大学出版局.
トラスク、ハウナニ・ケイ
2002 『大地にしがみつけ――ハワイ先住民女性の訴え』松原好次訳、春風社.
山本真鳥
1997 「サモア人のセクシュアリティ論争と文化的自画像」山下晋司・山本真鳥(編)『植民地主義と文化――人類学のパースペクティヴ』新曜社:152-180.
和辻哲郎
1935 『風土――人間学的考察』岩波書店.
Keesing, Roger M.
1989 “Creating the Past: Custom and Identity in the Contemporary Pacific.” The Contemporary Pacific 1(1/2): 19-42.
Trask, Haunani-Kay
1991 “Natives and Anthropologists: The Colonial Struggle.” The Contemporary Pacific 3(1): 159-167.


学会通信 新入会員

三原一郎(神戸大学大学院保健学研究科)
 伊藤彩乃(在トンガ日本国大使館)
 山下真理子(学習院大学大学院人文科学研究科)
 牧野元紀(東洋文庫)
 岩崎加奈絵(日本学術振興会特別研究員PD)
 阪田菜月(早稲田大学大学院人間科学研究科)
 石井洋二(在外公館専門調査員[オーストラリア])

ニューズレターNo.134から

第22回日本オセアニア学会賞選考要項

2022年度日本オセアニア学会賞選考委員会

1. 本学会賞受賞資格者は本学会会員で、対象となる著書または論文の刊行時に原則として40歳未満とする。対象となる著書または論文は1編とし、2021年1月1日から 2022年12月31日までに刊行されたものとする。なお、該当する著書または論文が複数の著者によるものの場合は、筆頭著者のものに限定する。

2. 候補者の応募は自薦あるいは本学会員からの他薦による。他薦による場合は、他薦者は被推薦者(候補者)の了解を得ていることが望ましい。

3. 自薦の場合は、選考対象となる著書または論文について、1部以上を日本オセアニア学会事務局宛に送付するものとする。送付に際し、連絡先(住所、E-mailアドレス)を 明記するものとする。

4. 他薦の場合は、推薦者の氏名と被推薦者(候補者)の氏名、被推薦者の連絡先(住所、E-mailアドレス)、および被推薦者の選考対象となる著書または論文名を明記する。 雑誌論文の場合は、雑誌名、巻号、出版年を、著書の場合は著書名(分担執筆の場合は、担当章のタイトルと著書のタイトル、編者名)、出版社、出版年を明記 する。この場合も、著書または論文を日本オセアニア学会事務局に送付することが望ましいが、送付されていない場合でも受理する。なお、推薦理由が必要であ ると判断する場合は、200字以内の推薦文を添付してもよい。

5. 応募期間は 2022年11月1日から2023年1月13日まで(必着)とする。

6. 送付先は下記とする。自薦の場合は、著書または論文を同封する必要があるので、郵便ないしは宅配便で送付することし、他薦の場合は郵便以外に E-mail でも受け付けることとする。

(日本オセアニア学会事務局)
〒110-8713 東京都台東区上野公園13-43
東京文化財研究所 無形文化遺産部 音声映像記録研究室(石村行)
TEL 03-5809-0428 FAX 03-3823-4854
E-mail:secretary[アットマーク]jsos.net

7. 事務局は自薦および他薦の書類を受領してから1週間以内に、受領した旨の連絡をし、受領書類を選考委員長へ郵送する。

8. 2023年1月14日以降、選考委員会は厳格な審査を行い、その結果を本年度の本学会総会の開催前に理事会に報告する。

<注 記>
1. 応募者はPCOに論文を掲載したことがあるか、掲載したことがない場合は、受賞後数年内に PCO へ投稿することが望まれます。
2. 選考を円滑に進めるため、すでに刊行されている書籍または論文については、募集期間が始まり次第、速やかに、応募して下さるようお願いします。
3. オセアニア地域に関わるあらゆる研究分野の作品が対象となっています。
日本オセアニア学会賞規定
第1条(目的)
日本オセアニア学会はオセアニア地域における人間、文化、社会、環境などの研究の振興を目的とし、「日本オセアニア学会賞」を制定する。
第2条(資格)
日本オセアニア学会員であること。
第3条(対象)
オセアニア地域研究に関し、前年度及び前々年度において最も優秀な著書又は論文を公にした個人。但し、刊行時において原則として満40歳未満の者とする。
2 賞の授与は各年度1名とする。
第4条(選出方法)
賞の選考は理事会が委嘱した5名の日本オセアニア学会賞選考委員が行う。
2 以上の選考結果に基づき理事会が受賞者を決定する。
第5条(賞の授与)
賞の授与は日本オセアニア学会総会で行う。
第6条(賞状等)
受賞者には賞状等を授与する。
附則
この規定は平成13年4月1日より施行する。
附則
本規定の改定は令和2年7月31日より施行する。


【新刊紹介】

市岡康子(著)
『アジア太平洋の民族を撮る――「すばらしい世界旅行」のフィールドワーク』
(弘文堂、2023年2月上旬)

当会会員として、自著の紹介をさせていただきます。
 わたしは、1966年から1990年まで24年間、テレビのプライムタイムで放送された「すばらしい世界旅行」(日本テレビ系)のプロデューサー/ディ レクターとして、民族シリーズを担当しました。
 このシリーズを企画・制作した牛山純一プロデューサー(故人)は、現在では考えられない画期的な制作方法を編み出しました。それは、

1.小人数のチームによる長期取材
2.ディレクターの地域担当制
3.ディレクターは一年のうち半分は担当地域に定着する、という原則です。

 わたし自身は番組開始以来アジア太平洋を担当し、24年間にわたって東はフランス領ポリネシアから西はマダガスカルに至る地域で、多様な文化の中の人間 を記録してきましたが、最も多く制作したのはパプアニューギニア、次いで東南アジアや中国です。仕事には通常のテレビ番組制作の枠には入りきらない、異文 化の中でのフィールドワ-クが不可欠で、その成否によって出来上がる番組の質が決まるとも言えます。人類学などの研究者にもフィールドワークはつきものだ と思いますが、24年間ほとんど毎回違った民族の間でフィールドワークを続けるのはあまり例がないと思います。
 現在とはまったく違う時代背景の下、テレビ番組制作の常識を超越した、現在でも、多分これからも存在しない画期的な方法を長期にわたって経験させても らったディレクターとして、わたしは自分のフィールド経験を書き残しておきたいと思いました。それは諸民族の生活と彼らの価値意識を描き出そうとする番組 をどう作ったか、調査と撮影のさまざまな方法論にまたがる記録でもあります。古くは40年以上前のことなので、現在では変わってしまったかもしれない生活 や信仰の形、集落や風景の原像もとどめていると思います。フィールドからは制作の進捗状況の報告と共に日誌を送ることが牛山プロデューサーから厳命されて おり、わたしも書くことによって思考の整理が出来るので、できるだけ丁寧に報告と日誌を出していました。
本書では、記憶だけでは立ち戻れない臨場感にあふれたフィールド日誌に依拠して書くことを目指しました。また写真によってビジュアルな魅力も加えたいと思 い、写真を多用しました。写真撮影もディレクター、つまりわたしの役目で、素人写真の域を出ませんが、現地のイメージを醸成する一助になれば幸いです。

 本書の構成は以下の通りです。
序 章 :ドキュメンタリストへの道
第1 章 :ライフワークとなった「すばらしい世界旅行」
第2 章 :民族文化のパターンを発見する―トロブリアンド諸島の女たち
第3 章 :縁者の頭蓋骨を愛おしむ―シベルート島深奥部に先住民を訪ねて
第4 章 :ディレクターの仕事は問題解決業と見つけたり
―ニューアイルランドのサメ漁―
第5 章 :共産圏でドキュメンタリーを撮る―中国雲南省と無錫市の場合
第6 章 :政情不安の地、カンボジアで憑依を撮る―アンコール地方の霊媒
第7 章 :石器時代から抜け出して25 年のダニ族と再現ドキュメンタリーを撮る
―文化復元としてのフィルムー
第8 章 :定点取材の原点―北タイの山地民アカ族
第9 章 :部族戦争のスクープはロードムービーから
―パプアニューギニアのハイランド・ハイウェイをゆく
第10 章 :カルリ族の映像制作からボランティアへ―ボサビ山で草の根開発―

 ほかに関連するコラム7 編。巻頭、中央にカラー写真32 ページ。

(市岡康子)

ニューズレターNo.133から

第39回総会の報告

2022年3月17日(木)、第39回日本オセアニア学会総会がオンラインで開催されました(幹事校:東京成徳大学)。議事は、以下の通りです。

1. 2021年度決算
・ 2021年度決算(2021年3月1日~2022年2月28日)について、小林誠会計担当理事より報告があり、承認されました。
・ 会計監査の桑原牧子会員と馬場淳会員により適正に処理されていることが確認されました。

2. 2021年度事業報告
下記の事業報告があり審議され、承認されました。
・People and Culture in Oceania vol.37の刊行(61 pages.:Article 2本、Communication 1本)
・NEWSLETTER no.130、131、132の刊行(論文1本、報告3本、新刊紹介4本)
・研究例会の実施
関東地区 2022年2月11日 オンライン開催(幹事校:東京都立大学)発表2本
関西地区 2022年2月12日 オンライン開催(幹事校:国立民族学博物館)発表2本
・第39回研究大会・総会の実施
2022年3月17日 オンライン開催(幹事校:東京成徳大学)
・JCASA等の活動
・石川榮吉賞の選考
報告事項参照
・第21回日本オセアニア学会賞について
報告事項参照
・評議員選出規則の改訂
・オセアニア学振興基金の創設と、学会賞規定の改訂について
・トンガ沖大規模噴火災害義捐金について

3. 2021年度事業計画
下記の事業計画が審議の結果、承認されました。
・People and Culture in Oceania vol.38の刊行
・NEWSLETTER no.133、134、135の刊行
・関西地区・関東地区研究例会の実施
・第40回研究大会・総会の実施
・PCOバックナンバーの電子化(J-STAGEへの登載)の実施
・JCASA等の活動
・石川榮吉賞の選考
・第22回日本オセアニア学会賞の募集
・第19回評議員選挙の実施

4. 2022年度予算案
2022年度予算(2022年3月1日~2023年2月28日)について、小林誠会計担当理事より説明があり、承認されました。
報告事項
1.石川榮吉賞について
受賞者:柄木田康之会員(宇都宮大学名誉教授)
2.第21回日本オセアニア学会賞について
受賞者:深川宏樹会員(兵庫県立大学)
受賞作品:『社会的身体の民族誌―ニューギニア高地における人格論と社会性の人類学―』
3.その他
・日本学術会議推薦会員任命拒否に関わる人文・社会科学系学協会共同声明への参加について、引き続き2021年度も会長名で賛同学協会として参加
・NEWSLETTERの投稿規定等について、今後は新刊紹介について著者の投稿を促すとともに、研究大会の発表要旨集も収録することとする
・次回の研究大会・総会について、現時点で幹事校と交渉中
・PCOバックナンバーの電子化(J-STAGEへの登載)について、今後もバックナンバーについて電子化を進めていく
・PCOのEBSCOデータベースへの登載
・PCO の書誌情報・要旨のCABIデータベースへの登載
・後援事業について
(1) 2021年コスモス国際賞受賞記念講演会(2022年1月23日)
(2) 学術変革領域(A)「生涯学の創出」シンポジウム(2021年11月20日)


第7回石川榮吉賞について

1) 受賞者: 柄木田康之 会員

2) 推薦理由
 柄木田康之氏は、国際基督教大学教養学部を卒業し、筑波大学とハワイ大学マノア校で文化人類学を専攻した。主な研究対象地域はミクロネシア連邦ヤップ州 であるが、他にもパプアニューギニアやソロモン諸島などオセアニア各地で調査研究に携わってきた。
 ミクロネシア連邦ではヤップ州の離島であるオレアイ環礁で長期にわたってフィールドワークに携わり、とりわけヤップ島と離島との間に取り結ばれるサウェ イ交易ネットワークの研究を推し進め、そこから首長制社会や人口移動、公共圏など様々なトピックを扱っている。主な著作として『オセアニアと公共圏― フィールドワークからみた重層性―』(須藤健一との共編著、昭和堂、2013年)、「島嶼間交易における集権化と分権化―サウェイ交易をめぐる論争―」 (印東道子編著『環境と資源利用の人類学―西太平洋諸島の生活と文化―』、明石書店、2006年)、「ミクロネシア連邦離島社会の主流島嶼への統合と異 化」(『文化人類学』81巻3号、2016年)、「ヤップ離島社会の共生戦略におけるアイデンティティーとネットワーク」(風間計博編著『交錯と共生の人 類学―オセアニアにおけるマイノリティと主流社会―』ナカニシヤ出版、2017年)などがある。
 教育活動においては、1988年に鹿児島大学南太平洋海域研究センターに着任し、その後1994年に宇都宮大学に移り、2021年3月に退職するまで 27年にわたって同大学で教鞭をとった。同大学では国際交流研究専攻の主任を務め、また国際交流委員長として海外の大学との国際交流を推進した。
 本学会の活動としては、2019年4月から2021年3月まで会長を務めた他、2001年より数次にわたって理事・評議員などの役職を歴任するなど、本 学会の運営と発展に多大な貢献を果たしてきた。
 以上のように、オセアニア地域研究の振興に多大なる寄与を果たしてきたこと、くわえて、長年にわたり本学会の発展に貢献してきたことが、柄木田氏を石川 榮吉賞に推薦する理由である。


受賞の言葉   柄木田 康之
   日本オセアニア学会創設者である石川榮吉先生の御名を冠した賞を受賞いただけることを大変光栄に思い、日本オセアニア学会会員の皆様に心から感謝を申し上 げます。
 私は石川先生の論文指導や正規の講義を直接拝聴した経験はないのですが、筑波大学大学院時代の指導教員牛島巌先生や科研費の研究代表者として支えていた だ いた須藤健一先生を通じて、また日本オセアニア学会での懇談を通じて、そのお人柄を大変敬愛しておりました。私が石川先生と親密な会話を交わしたのは、 1987年の夏に石川先生が当時私が留学していたイースト・ウエスト・センターに、棚橋訓先生を訪ねておいでになった折で、その直後に予定したミクロネシ アのフィールドワークを励ましていただいたことを強く記憶しています。
 石川先生の研究成果に直接つながった研究は2006年第23回日本オセアニア学会研究大会で吉岡政徳先生企画の石川榮吉シンポジウム『日本人のオセアニ ア 観-石川説を基点として』で発表した「内地観光団と青少年交流-スタディー・ツアー・オリエンタリズムについての一考察-」で、これは南洋群島統治期の内 地観光団と今日の青少年交流のスタディーツアーにおけるミクロネシアと日本の関係に自然/文明の対比に基づくオリエリズムが共通していることを指摘したも のです。石川先生のポリネシア、欧米、日本の間の史料に基づく他者観の歴史的展開に関する研究は現在の日本ミクロネシアの国際交流に鑑みても意義がありま す。また私のミクロネシア連邦ヤップ本島と離島相互間の関係の持続と変容という歴史的研究に目を向かせていただくものでした。
また石川先生が礎を作られた日本オセアニア学会会員の諸兄姉との関係は国立民族学博物館の共同研究会「脱植民地期オセアニアの多文化的公共圏の比較研究」 の基礎となり、オセアニアの現代社会を公共圏の重層性ととらえる『オセアニアと公共圏』(2013)の出版に至りました。
 ここで私が日本オセアニア学会の運営への貢献と考えているものを挙げさせていただきます。私は鹿児島大学から宇都宮大学に転任した後に、栗田博之先生か ら 会計担当理事に就く可能性を打診されました。当時は大学教員にも余力があり、運営のお手伝いができればとお返事しました。私は2001 年から2005 年に会計担当理事・評議員を務めました。その後1 期の休みを頂き、2 期渉外理事・評議員を務めたと記憶しています。栗田先生以前の会計担当理事は庶務会計に関する仕事の大部分をこなされていました。この負担はかなり大きく私の後任の関根久 雄先生、風間計博先生に引き継ぐ時にお二人が当時筑波大学に在任だったこともあり事務局の仕事を会計・庶務で分担するようお願いしました。これが学会運営 の仕事が役員間でより均等に分担されるようになった切っ掛けとなったのではと思っています。
 また会計担当理事就任中の2005 年には須藤健一会長、吉岡政徳シンポジウム事務局長で日本オセアニア学会25 周年記念国際シンポジウム「21 世紀の太平洋-新たな文化とアイデンティティの創成-The Pacific in the 21st Century-Formation of New Culture and Identity-」を神戸国際会館で開催した時、運営に参加させていただきました。この成果はPeople and Culture in Oceania No.15 (2005)のSPECIAL SECTION: The Pacific in the 21st Century Formation of New Culture and Identity として掲載されています。
そして直近の日本オセアニア学会への貢献ですが、2019 年4 月から2021 年3 月まで学会長を務めさせていただきました。前会長の山本真鳥先生から打診された時はその器ではないと一度お断りしたのですが、著名な先生方からより開かれた人材に機会が広 がればという気持ちで引き受けました。任期中は内閣からの日本学術会議会員任命拒否問題、新型コロナ禍による研究大会の中止・オンライン開催、オセアニア 学会賞副賞支援の辞退、オセアニア学会口座からの海外送金問題という様々な困難が生じましたが、会長とともに運営3 役を担っていただいた丹羽典生庶務理事、倉田誠会計理事の協力のおかげで中澤港先生に会長の職を引き継ぐことができました。
 このように私の研究は日本オセアニア学会との関係で進展したものであり、学会を築いていただいた石川榮吉先生は私の研究の基盤であり続けています。まだ や り残した仕事があり私もこれから研究を進めたいと思っていますが、日本オセアニア学会の若手会員の皆様の研究の進捗と共に日本オセアニア学会の発展を心か ら祈念します。

第21回日本オセアニア学会賞について

1) 受賞者: 深川宏樹 会員
対象著作: 『社会的身体の民族誌―ニューギニア高地における人格論と社会性の人類学―』風響社、2021年

2) 選考理由
 本書はパプアニューギニア・エンガ州サカ谷において交換関係の連鎖が生み出す身体と人格の問題を贈与交換論、サブスタンス概念を導入した親族論、社会的 身体や人格といった重要な理論的枠組みを用いて、多様な事例を洞察している。著者が注目したのは、感情と身体に関わるエンガの「重み」や「心臓」といった 諸観念や、父系が強調されるなかでの母方親族の両義的な位置である。また著者は交換関係の否定がもたらす感情と衰退する身体、「拡大される人格」の観点か ら葬送儀礼の軋轢を分析し、さらにまた外部社会から導入された村落裁判に見られる調停において西洋的制度の流用と村落の交換関係の対抗的発明の観点から分 析している。
 本書は近年の理論的転回を反映した記述分析に基づく労作である点でも評価が高い。「自然な個」に社会的役割が付与さるという前提、あるいは「全体社会」 といった西欧的な概念の適用ではなく、マリリン・ストラザーンの読み込みを基点として、具体的な出来事に根差した人々の行為と対話に注目し、人格や身体、 親族、社会性が生成されていく多様な様態を見事に描き出している。
 以上により、この作品を学会賞に推薦することで委員全員が一致した。

第21回(2021年度)日本オセアニア学会賞選考委員会


第22回日本オセアニア学会賞選考要項

2022年度日本オセアニア学会賞選考委員会

1. 本学会賞受賞資格者は本学会会員で、対象となる著書または論文の刊行時に原則として40歳未満とする。対象となる著書または論文は1編とし、2021年1月1日から 2022年12月31日までに刊行されたものとする。なお、該当する著書または論文が複数の著者によるものの場合は、筆頭著者のものに限定する。

2. 候補者の応募は自薦あるいは本学会員からの他薦による。他薦による場合は、他薦者は被推薦者(候補者)の了解を得ていることが望ましい。

3. 自薦の場合は、選考対象となる著書または論文について、1部以上を日本オセアニア学会事務局宛に送付するものとする。送付に際し、連絡先(住所、E-mailアドレス)を 明記するものとする。

4. 他薦の場合は、推薦者の氏名と被推薦者(候補者)の氏名、被推薦者の連絡先(住所、E-mailアドレス)、および被推薦者の選考対象となる著書または論文名を明記する。 雑誌論文の場合は、雑誌名、巻号、出版年を、著書の場合は著書名(分担執筆の場合は、担当章のタイトルと著書のタイトル、編者名)、出版社、出版年を明記 する。この場合も、著書または論文を日本オセアニア学会事務局に送付することが望ましいが、送付されていない場合でも受理する。なお、推薦理由が必要であ ると判断する場合は、200字以内の推薦文を添付してもよい。

5. 応募期間は 2022年11月1日から2023年1月13日まで(必着)とする。

6. 送付先は下記とする。自薦の場合は、著書または論文を同封する必要があるので、郵便ないしは宅配便で送付することし、他薦の場合は郵便以外に E-mail でも受け付けることとする。

(日本オセアニア学会事務局)
〒110-8713 東京都台東区上野公園13-43
東京文化財研究所 無形文化遺産部 音声映像記録研究室(石村行)
TEL 03-5809-0428 FAX 03-3823-4854
E-mail:secretary[アットマーク]jsos.net

7. 事務局は自薦および他薦の書類を受領してから1週間以内に、受領した旨の連絡をし、受領書類を選考委員長へ郵送する。

8. 2023年1月14日以降、選考委員会は厳格な審査を行い、その結果を本年度の本学会総会の開催前に理事会に報告する。

<注 記>
1. 応募者はPCOに論文を掲載したことがあるか、掲載したことがない場合は、受賞後数年内に PCO へ投稿することが望まれます。
2. 選考を円滑に進めるため、すでに刊行されている書籍または論文については、募集期間が始まり次第、速やかに、応募して下さるようお願いします。
3. オセアニア地域に関わるあらゆる研究分野の作品が対象となっています。
日本オセアニア学会賞規定
第1条(目的)
日本オセアニア学会はオセアニア地域における人間、文化、社会、環境などの研究の振興を目的とし、「日本オセアニア学会賞」を制定する。
第2条(資格)
日本オセアニア学会員であること。
第3条(対象)
オセアニア地域研究に関し、前年度及び前々年度において最も優秀な著書又は論文を公にした個人。但し、刊行時において原則として満40歳未満の者とする。
2 賞の授与は各年度1名とする。
第4条(選出方法)
賞の選考は理事会が委嘱した5名の日本オセアニア学会賞選考委員が行う。
2 以上の選考結果に基づき理事会が受賞者を決定する。
第5条(賞の授与)
賞の授与は日本オセアニア学会総会で行う。
第6条(賞状等)
受賞者には賞状等を授与する。
附則
この規定は平成13年4月1日より施行する。
附則
本規定の改定は令和2年7月31日より施行する。

学会通信 2022年度の研究大会・総会及び地区例会の告知

日本オセアニア学会会長 中澤 港

2022年度の研究大会・総会につきましては、新型コロナウイルス感染症の状況をみながら、大西秀之会員(同志社女子大学)のもと準備を進めておりま す。開催場所や開催方法などの詳細につきましては追ってホームページ、メーリングリスト等でお知らせします。また地区例会につきましても、各地区担当の理 事や幹事のもと準備を進めておりますので、詳細については決まり次第、ホームページ、メーリングリスト等でご連絡いたします。





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